2013年11月28日木曜日

電気が使えないことの絶対的不便さと相対的不便さ、エネルギー政策についての考察 in ジンバブエ




ジンバブエの首都ハラレ郊外に住んでいましたが、3日間電力が供給されず、このテーマについていろいろと考えを膨らませたので書いてみます。



電力が使えないと、何が困るかという当たり前のことを考えてみます。

家庭内では、
・テレビを見ることができない
・音楽を聴くことができない
・勉強することができない
・冷蔵庫が止まって中の食料が腐る
・洗濯機が回せない

街では、
・パソコンを使って仕事をすることができない
・スーパーなどの食品が腐る
・レジで機械を使っての会計ができない
・病院の設備が動かない
・工場が稼働しない
・固定式電話が使えない
・エレベーターが使えない
・暗い教室での授業



夜になれば外は真っ暗なので、転んで怪我をしたり、犯罪が発生するリスクも高くなります。


コンロを使っている間に停電になり、そのまま家を出てしまった後に電力が戻れば、火事になることもあります。



困ることばかりです。


安全衛生面と産業分野においては、電力供給の不安定さは間違いなくマイナスの側面が目に見えて現れます。これは先進国でも途上国でも同様です。

一方、ジンバブエの一般家庭では、実は最初からそれほど電力に依存していないので、想像するほど生活が極端に不便になるわけではありませんでした。

一般的な日本人の感覚からすると、ジンバブエでの生活そのものが不便であることは言うまでもありませんが、電力供給が不安定な生活に慣れた彼らにとって、電気が供給されたりされなかったりすることのギャップにおいて、生活に大きな支障が現れにくいのです。



僕が住ませていただいていた部屋では、電力を必要とするものはほとんどありませんでした。

温めるところが2つあるうちの1つが故障した電気コンロと、豆電球1つ。

コンセントの穴もあり、携帯電話やパソコンを充電するために使うことができます。


一日のうち数時間の停電はよくあります。

冷蔵庫もなく、食べ物が腐る心配をする必要はありません。



これが3時間4時間となってくると別です。


パソコンの充電が切れます。
お腹がすいてもコンロを使って料理を作ることができません。



しかしこれでも現地の人は、自分で火をおこし、ご飯を作って食べています。


電力に最初から依存していないのがよく分かります。


この電力供給の不安定さは経験したことのない人にとってはすごく厄介で、もう少し待ったら使えるかもしれないと、ずるずると待ってしまいそうですが、ジンバブエの人の気持ちの切り替えはとても早く、電気が届くのを待つことはしません。


すぐに火をおこし始めていました。




首都ハラレの中心部から少し離れたこの地域では、電力供給が3日止まることが頻繁に起こるわけでもなく、珍しいことでもない。

だからどうしても、もう数時間すれば使えるだろうと思ってしまいがちです。

まさにそう思ってしまったために3日間パソコンが使えるのを待ってしまっていたわけです。



夕方には外で宿題をがんばっている子供を見かけました。

外に座って勉強することに慣れた様子で、一生懸命勉強しておりました。

もちろん、机に座って姿勢を正し、電気のある部屋で勉強した方が学習の効率は良いものとは思いますが、

普段から電気のある部屋で机に座って勉強しているわけではないので、外で勉強する子供達から「不便さ」を感じることはありませんでした。


さらに現地で活動させていただいたChild Future Africaという孤児院のあるマウントダーウィンは、ハラレからさらに180キロほど離れており、電力はさらに不安定になります。


人々の生活はさらに電力に依存していません。



基本的には自分たちで火をおこして料理を作る。

電気が使えればラッキーというくらいの感覚です。



設備自体も脆弱で、滞在中にも電線が伸びた草に接触したことが原因で、火事が起こりました。

発見が早かったので、すぐに消し止めましたが、夜中だと被害はもっと広がっていたことだろうと思います。











日が暮れた後、キャンドルの明かりを灯せば、全くの暗闇ではありませんが、できることはほとんどありません。

何ができるでしょうか。


眠くなってくれるといくらか有り難いとさえ思いました。

目を開けても閉じても真っ暗。することはない。

最初の数時間は今後の行動について想像してみたり、思い出に浸ってみたりと、頭を働かせることで退屈をしのぐことができたかもしれません。

それが5時間、6時間になってくると退屈はストレスになります。


ストレスは犯罪発生率を高めます。
些細なことがきっかけで争いが起きることにもなります。





全く何もすることがない暗い部屋に1人で長時間いた場合、精神が疲弊します。

2人でいれば話をして退屈をしのぐことができます。それがいつも同じ相手で同じ話をしているとさすがに話すこともなくなってきます。


男女が一緒にいた場合、セックスをするでしょう。

同性同士が一緒にいたとしてもセックスをする可能性は上がります。

これはふざけて書いているわけでもなければ、途上国の人を侮辱しているつもりもありません。




日が沈んだ後の18時以降、何もできることがなく「退屈」に閉じ込められたとき、男性同士でもセックスをする可能性は十分にあります。

男性同士のセックスはHIV感染の確立が高いです。




世帯あたりの子供の数の多さや、HIV感染者数の多さの背景に、「退屈さ」というものは関係していると考えています。





「電力」というインフラが整備されることで産業は大きく発達します。


不安定さがなくなるだけでも単純に仕事をすることのできる時間は増え、工場を稼働させることができるだけでなく、停電により腐った野菜を廃棄するようなこともなくなります。


病院の設備が止まって、患者が死んでしまうことも無くすことができて、暗闇で犯罪が起きることも防ぐことができる。さらに産業も発達する。


電力のインフラを整備すれば、良いことばかりなのに、どうしていつまでも貧しい国ではインフラが整備されないのでしょうか。




この理由についてもいくらか考えを膨らませております。



発電施設の建設には巨額の投資が必要になります。


貧しい国では財源が豊富にありません。

ジンバブエでは今年の初めごろ国庫残高が2万円になったとニュースが流れるほど、お金がありません。


過去の失策や経済制裁によって、外国の資金に頼ることのできる「信頼」がジンバブエにはありません。




そして、「電気代」を国民や企業が払うことができるほど豊かでなければ、電力を作れば作るほど、電力会社は損をすることになります。


ハイチでは、国民が電気代を払うこともできず、盗電が後を絶たないため、ハイチ電力公社は巨大な損失を抱えており、電力供給は不安定なままです。


不安定ながらも電力供給がされているのは、完全に産業が停止してしまうことや、生命が脅かされることを最低限免れるための措置なのだと考えております。



発電施設の能力や、供給機能の脆弱さよりも、電気代を回収できるかどうかというのが、電力供給が不安定な最も大きな理由ではないでしょうか。


生活していたハラレ郊外での電力供給は不安定でしたが、ハラレ中心部はほとんど安定して供給されています。



電力供給計画を考える側からすれば、確実に電気代を払うことができるであろう産業のさかんな都市中心部を優先に発電量を考え、余分に作られた電力を中心部から離れた地域へ届けていくようにする方が合理的です。

電力の供給や遮断は、一軒ごとにはできないのでエリア別での優先順位に従って電力は供給されます。


当然、失業者の多いエリアでは電力供給の優先順位は低くなります。





仮に外国の資金によって、電力設備が整備されることが可能であったとしても、これは実現しません。


経済活動が活発になるにつれ、電力需要は増え、電力による収入は国の財源ともなり得る程大きなものになる可能性をもっています。


経済活動が活発になれば、出資した外国の企業などが儲かるような仕組みは作りたくないものです。



以上のことをまとめますと、ジンバブエが安定した電力供給を達成し、電力による収益を長期的に拡大させていくためには、


使用した電気代を支払うことのできる国民の数を増やしていくこと。

が必要だと言えます。



電力供給によって豊かになるのではなく、地域住民全体として、一定の水準の収入を得ることが、安定した電力供給のための大きなハードルなのです。



これには年月を必要とします。


その間には、電力設備の運転、維持管理のできる国内の技術者も同時に育てていくことが将来に必要となる資金を削減させ、長期での電力計画を助けるものになります。


設備投資と言っても、設備購入と技術購入は掛かる費用が圧倒的に違いますし、外国資本を追い出すことを得意技としてきたムガベ政権ですが、インフラに関わる技術者を育てることは、健康的な方法として、外資へ長期で依存しない姿を築いていくことが可能です。



火力発電や原子力発電を想定して書いてみましたが、これが太陽光発電などの新しいエネルギーとなればまた違います。


初期費用は掛かりますが、一つの家庭で消費される電力量も多くなく、管理も楽で運転コストもほとんど掛からない。


今、途上国での新エネルギー技術の導入と技術者の育成が確かに注目されております。


いずれにしても中長期的なエネルギー政策と、それにかかる財源の確保というのは、国家の運命に関わるもので、どの国も避けては通れない慎重かつ大胆な決断が求められるのだろうと考えてみたところです。



電気が使えないことについて想像するきっかけになっていただけると幸いです。



以上です。




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