2013年12月1日日曜日

ジンバブエでの1か月まとめ

ヨハネスブルグ(南ア)からジンバブエへ
雨季に入り、夕方になると雷を伴う一時的な大雨の続いた10月の末、50日間ほど活動の拠点としたヨハネスブルグを去り、6月から始めたこの旅で5か国目となるジンバブエへと向かった。リアル北斗の拳と称されるほど治安の悪さが聞き伝わってくるヨハネスブルグは、やはり噂通り安全な場所ではなく、50日間の滞在期間の半ば、私も首絞め強盗に遭うことになった。幸い、ジンバブエへ出発する前日、再発行したキャッシュカードが届き、予定通り空港へ向かうこととなった。新しいパスポートにはこれまでの入手国記録はなく、ナイアガラの橋を歩いて渡ったときの、カナダ2年目に向けた想いを感じさせる思い出のスタンプもない。それ以上に南アフリカ、ジンバブエの出入国時のトラブルを心配したが、難なく首都ハラレの地へ足を乗せることが許された。ヨハネスブルグの住民は、ジンバブエを恐ろしいところだと言う。世間的には独裁者と呼ばれているムガベ大統領、その政権は外国人に容赦がないそうである。貧しいが故、治安は非常に悪く、死にに行くようなものだと、ヨハネスブルグの住民が言うのだから緊張の面持ちであったことは言うまでもない。1ヵ月間の活動を終えた今、ジンバブエを簡単に表すと「平和」、そして未来への「希望」であった。


ジンバブエでの1ヵ月と農村部の孤児院Child Future Africa

ハラレではリチャードというジンバブエ人が私を家に迎えてくれた。6畳ほどの部屋に汚れたベッドが1つあり、片側の壊れた電気コンロ、穴の開いた天井には配線がむき出しの豆電球が1つぶら下がっているだけである。この空間を2人で使う。匂いや飛んでいるハエにもすぐに慣れた。溜めた水で体を洗うことや、長期間電気が使えずに退屈に閉じ込められた時間には、最後まで慣れることはできなかった。この場所を中心に、まずはジンバブエの歴史や政治、貧困の度合いと背景について調べていく。そして街へ出て体感的に国の温度や雰囲気を掴んでいく。農業はさかんで、都市中心部でも鍬などを持った人が歩いているのを見る。物乞い、道端に寝かされた子供は存在するが、溢れ返っているわけではなく、多くの人々は大人しく、危険を感じることもなかった。

ジンバブエ北部の農村部、マウントダーウィンにあるChild Future Africaという孤児院へ滞在し、子供達や地域の人々とふれあいながら、ボランティア活動をさせていただく機会を得ることができた。深刻なHIV感染率の高さにより、親を亡くした子供は多数存在する。畑が広がり、石と藁で作られた伝統的な家屋の並んだ集落が点在するこの地域では、人々は自ら火をおこし、汲んできた水で洗濯をし、多くの住民は農業に従事している。Child Future Africaでは、トウモロコシやトマトを作り、子供達に実践的な農業の教育を行いながら、野菜を売ったお金で施設の維持や子供達の学費を支払うお金を生み出しながら持続可能な支援の体制を築こうとしている。小学校には窓や天井がないどころか、ペンやノートを交代で使いながら、教室のない学年の生徒が外で授業を聞いていた。さらに中学校へは往復14キロ歩かなければならない。ここで2週間、農業を手伝い、子供達の宿題を一緒に考え、壊れた配線や配管の修理など、できることは何でもやった。芋掘りは想像以上に過酷で、翌日は体が全く動かなかった。中学校までの往復14キロを一緒に歩き、この辛さを体感的にも理解した。
また、施設を卒業間近の17歳の少年と一緒にパソコンとipadを使って一緒に音楽を作った。ショナ語でこれまでの人生とChild Future Africaへの感謝の気持ちを歌っている。これをサウンドとして使い、Child Future Africaの活動紹介用動画を作って団体へプレゼントした。




ハラレへ戻るとすぐに、プロジェクトの計画を始めた。
中学校までの通学負担を軽減すべく、自転車を届けるというプロジェクトである。通学用に7台、さらにレンタル事業をスタートすることで地域の皆さんの労働負担の軽減を助けながら、施設を持続的に維持していくための収益を生み出していく。
団体との調整、自転車屋などへ行っての価格調査、指導員の派遣計画など、資金があればいつでもスタート可能な状態にした。
これまでクラウドファンディングを資金調達の方法に選んできたが、今回はチームを結成し、全く新しい手法での資金調達を目指す。


治安の良さと貧しさ
独裁政治、失業率94%、ハイパーインフレによる経済崩壊、ジンバブエを取り巻く環境は世界でも深刻度の高い方であるはずだった。当然このような環境下では、仕事の無い者が生き延びるためにモノを奪い合い、厳しい生活や空腹によるストレスから争いが起き、治安は悪くなるのが普通である。

治安を維持している要因は、
1、経済崩壊後、一定期間が経ち、回復へ向かっていること
2、刑務所へ行けば、人権を顧みない恐ろしい仕打ちが待っていること
3、全ての悪因は政治の脆弱さや愚策から来ており、独裁者と呼ばれるムガベ大統領が再選したが、89歳と高齢であり、先が長くないこと
4、アフリカの食料庫と呼ばれるほど豊かだった時代があり、教養の高い者も多く、犯罪などは愚かだと考えていること
5、助け合いながら暮らしていること

既にジンバブエを離れて、他国へ移り住んだジンバブエ人も多く、家族へ資金を送っています。
今でも海外へ出ようとする働き盛りの人は多く、パスポートを発行する役所では早朝から人が並び、大行列を作っていました。

海外へ働きに出る者によって、生活をしている家族もいます。
彼らは職が無くても、生きていくことができています。また、何を以て失業者と就業者を分けているのかと言う点は疑問でもあります。
公務員以外の人が、働いて収益を得ていようとも、それを把握し、管理するシステムが未発達であるようにも感じます。働いていない者は確かに多いようですが、畑で野菜を育てている農業従事者をも無職としているような節はあります。

自らの畑で育てたトウモロコシ、イモ、トマトなどを食べていれば、1日2ドル以下の生活なんてのは十分あり得ます。

生活水準は低いものの、1日に僅かなお金で空腹を凌ぎながら、常に飢えと戦っている状況の人が多いわけではありませんでした。

貧しい国であることは確かです。
ただ、指標やニュースで見るほど、「困窮」している国民で溢れているわけではありませんでした。

さらに補足すると、衛生設備、医療へのアクセスが発展途上の水準である限りは、乳幼児の死亡率、出産に伴う母子の死亡率が下がることは絶対にありません。

「失業率」や「1日2ドル以下の生活をしている人の数」というような指標だけでは、「貧困」と「貧乏」の違いについて知ることはできないということです。

ジンバブエ人には、大人しく真面目で穏やかな性格の人が多く、仕事がないことを冗談のように話しながらも、政府が悪いから仕方がないと、食パンと卵だけの生活を嘆くような姿勢は感じません。

大多数の生活水準が同様に豊かではないことも、これが普通なんだと、人のモノを奪ってやろうという発想に行きつくことを防いでいるようでもあります。

停電が3日続き、芥川龍之介の羅生門の朗読を何度か繰り返し聞いていましたが、まさに、

『このまま飢え死にするか、盗人になるか』

この判断を迫られる状況に置かれていない。あるいは、貧しさの中にありながらも、飢え死にか、盗人になるという2択以上の生きるための選択肢を持った心の豊かな国民性なのか。

両方だと思っています。


そして少しだけ事実とは離れた想像話をします。

ジンバブエにはゴブリンがいると言われています。空想上の生き物であり、当然ジンバブエの人もそんなことは知っていますが、ゴブリンの存在を否定しません。

ハイパーインフレが起きたのは、ムガベ大統領が白人から農場を取り上げ、白人から株式を取り上げ、経済制裁を喰らってしまったからであります。

経済破綻する前からずっと、白人が経営する農場で、安い給料で働かされていた黒人たちの生活が豊かだったことはないのです。

『このまま飢え死にするか、盗人になるか』

これは極限の空腹で、他に手立てがない場合、どんな国にいようとも起こり得る考えです。ましてや政府など頼りにできないジンバブエです。

ジンバブエの刑務所は「世界で最も入りたくない刑務所」「地獄の入り口」と呼ばれるような場所です。

ジンバブエ人にとっては、

『このまま飢え死にするか、盗人になって殺されるか』

広い農場が広がっており、簡単に侵入して食べ物を奪うこともできます。


自分たちの貧しさを知っている者同士が、畑でトウモロコシを盗む人を見たとして、捕まれば死んでしまうその人を、ゴブリンと呼んだのではないかと、考えてみたところであります。


ジンバブエの今と今後

滞在した1ヵ月間では、ハラレ近辺と、Child Future Africaのあるマウントダーウィンしか見ることはありませんでしたが、ハラレはまさに活気を取り戻しつつあります。

海外から人が戻ってくる動きも出始め、来るべき時に備えて、事業計画を進めている人にも何人か会いました。

資源が豊富で、発展の余地をありすぎる程残したままのジンバブエへ、海外からの資金が積極的に入ってくるその時を、今か今かと待っているのです。


誰も口には出しませんが、その時とは、5年後の2018年に行われる選挙での政権交代を待たずに、89歳の独裁者がこの世を去るその瞬間を暗に示しているのです。


一方、マウントダーウィンのような農村部では、物価の急激な変動こそ脅威ではあるものの、GDPが成長しようと、民主主義が脅かされていようと知ったことではないのです。

と言うより、テレビもなく、新聞も読まない彼らは知らないのです。

ムガベ大統領を批判するような話を伝え聞くことはあっても、対立候補の主張どころか、対立候補の名前も知らないこともあります。

ハラレのビジネスマンが期待する政権交代が起こった時には、特に大騒ぎをすることもないでしょう。

いつの間にか病院や学校ができて、いつの間にか電気やトイレが整備されて、生活が便利になっていく。

いつの間にか商業設備や工場が出来て、雇う側、雇われる側に分けられ、失業率が大幅に改善されたと聞き、なんとなく、良いことなのかなと。
いつの間にか同じ畑を耕してた仲間は、綺麗なマンションに住み始めて、車に乗ってる。

いつの間にか農場は買い取られて、バケツに水を汲みに行く必要はなくなったけれど、みんなで外で火を囲んで話をすることもなくなった。

当たり前のように食べ物を分け合って、食べ物がないときはみんなで一緒に我慢してきたけど、いつの間にか嫉妬や憎しみが湧いてきて、争いごとが増えた。


どうか、そうならないでほしい。
変化はいつもどこかに痛みを伴います。

みんな本当にいい人達なんです。


独立以来初めての政権交代は、ジンバブエに大きな喜びと、悲しみを生む引き金となりますが、これまでに危機を何度も超えてきた国民が、変化に耐えるところを想像するのであります。


平和で心豊かなジンバブエの人達が本当に好きになりました。

一緒に暮らしながら世話をしてくれたリチャードや、Child Future Africaのおばちゃんや子供達がずっと元気で、幸せに暮らしていける未来を心から願ってます。











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