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2014年2月27日木曜日

シリアの皆さんと越えた冬。私にできることは何か。







レバノンとシリアの国境付近のアーサルでは、紛争から逃れてきた多くの難民の方が生活しております。




住宅地から離れた丘は、木や植物はほとんど生えていない荒野で、石の採掘場や加工場がいくつかあります。それ以外にはほとんど何もありません。




標高は高く、冬には気温がマイナスになることもあり、雪が降ります。

アーサルへ15日間滞在し、シリア難民の方々のための支援活動を手伝わせていただきました。


2月の前半は非常に寒かったのを覚えていますが、今は少しずつ暖かくなってきております。



現地入りした最初の週末には、60世帯が入居可能なテントキャンプを完成させ、オープニングセレモニーが予定されていました。

この60張のテントは、土台にコンクリートブロックを使い、木のドアも付いており、ある程度の丈夫さを持っています。

しかし、この2月前半に、ジュネーブでの和平交渉に向けたシリア国内での武力によるメッセージが活発になり、1日の死亡者数が過去最悪の水準に迫る勢いでした。アーサルに近い、ヤブロードやカラムーンでの戦闘が激しくなり、大量の難民がアーサルヘ押し寄せたのです。

2月の初めから、中旬までの間に12000人がアーサルヘ辿り着いたと報じられております。
ここは、国境を越えた難民が最初に辿り着く場所なのです。


国際団体は安全上の理由からアーサルから離れたと聞きました。

アーサル以外の地域へ向かう難民もいますが、レバノン軍だけではなく、ヒズボラのチェックポイントもあり、リスクを伴います。

国連の難民登録を受けることもできないので、支援を受けることができない家族がアーサルに取り残されています。


60張のテントはすぐに満員になり、強烈な寒さの中、外で寝る人も出てきた状況下で、セレモニーは中止になり、シリアの皆さんと一緒に急遽70張ほどのテントを2日間で建てました。




既に出来上がっていた60張のテントは、定員10人のところを2家族の15人以上が共有しているような状態です。

緊急で建てることになったテントは、普通のテントなので、丈夫さもありません。
今のところ、雨と風は凌ぐことができております。



到着したばかりの皆さんの中には、怪我をしている人や泣き崩れている人もいます。
ほとんどが身内を失ったばかりの人や、家が倒壊した人です。

非常に厳しい状況を知らないのか、キャンプの子供達は楽しそうにはしゃいでいます。




私は15日間、シリア人ドクターがボランティアとして働いている診療所で寝泊まりさせていただきながら、食料や衣類の配達、テント作り、支援物資の整理、荷物運びなどをやらせて頂きました。


現地で一緒に活動をした人のほとんどがシリアの人です。
彼らは数か月以上前からアーサルヘ来ており、一応家を借りて住んでいる人達です。

よく家に招待していただき、食事や茶をごちそうになりました。

皆さんとても温かく、親切にもてなしてくださいました。








特に気を遣わせているようなこともなく、日本からの珍客を嬉しく思っているようでした。

キャンプの中でも、うちへ寄って茶を飲んでいけと、あちこちから誘われます。大人気でした。子供から大人まで、名前を覚えて呼んでくれることをとても嬉しく思いました。

荷物運びもテント作りも、誰にだってできる簡単な仕事ですが、外国人がシリア情勢や難民問題を深刻なものとして捉え、現地で働いている姿を見せることは、自分の国に見放された難民の皆さんをきっと勇気付けることができると信じ、笑顔で真剣に仕事をしました。




我々は難民の皆さんを心配し、力になりたいと思っているというメッセージが伝わっていると思います。

ボランティアの皆さんとも、病院の皆さんとも、キャンプの皆さんともすっかり仲良くなり、随分と居心地が良くなりました。

キャンプの子供達と遊んだり、シリアの女子高生たちにアラビア語を教えてもらったりと、実際には楽しい時間も多くありました。




しかし、彼らの現実は楽観できるものではありません。


元気のない子にどうしたのか聞くと、今日友達が死んだ、と言う。
それでもボランティアとして、服や靴の整理をがんばっていた。

身内が亡くなったドクターは、葬式のために危険なヤブロードへとバイクで向かい、遅くに帰ってきて、また仕事を始める。給料はない。

給料が欲しいなどとは一言も言わず、患者のための薬が欲しいと言う。



こんなに優しい人達が、紛争によって多くを失い、過酷な環境下での生活を強いられているのです。





力になりたいと、強く思いました。

自分にできることをやります。


パソコンもないので、路上や駅で募金活動をしようと思います。


3月10日、福岡へ到着後、東京方面へ向かって行きます。

家に1泊させてくださる方、連絡をください。
どこへでも行きます。

1畳分ほどのスペースと、米かパンを少し恵んで頂けると有難く思います。


あなたの家の近くの駅などで募金活動をします。




また、講演会などのイベントや施設の運営者などで、人前で話す機会をくださる方も大歓迎です。





よろしくお願いします。








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2014年2月20日木曜日

私にはかけてあげられる言葉がある(シリア難民キャンプ10日目)


 

最初の発送は20147月以降の予定です。



シリアとの国境の街アーサルArsalで、難民支援のボランティアをしております。
今日は滞在10日目。





イスラム教スンニ派の人達、本当に優しく平和的でいい人が沢山います。

明るくてフレンドリーな人も多く、子供を大変可愛がっております。

特に女性が明るいことに驚きました。


偉そうな男どもにギャーギャー文句を言い、女性同士では男の悪口をネタに盛り上がっていたりする。


ただ、やはり文化柄というか、宗教柄というか、どうしても女性は男性よりも弱い立場にはあるようです。

そして、子供が死んだ、旦那が死んだ、友達が死んだと泣いている人に毎日のように会います。

普段は明るく振舞っていても、急に落ち込んでしまい、泣き出す人がたくさんいます。
一緒にボランティアをしているシリアの高校生たちも、毎日誰かが泣いてしまいます。
そんな現場です。



私は毎日どこかの家庭へお邪魔しては晩ご飯をご馳走になっています。

うちへおいで、うちへおいでと、ものすごく歓迎されていまして、嬉しい限りです。

家庭によってはテレビを持っているようなところもありますが、電気も点かずに隙間風がひどい家もあります。



私の旅の話や、日本のことを聞かれたり、シリアのどこからいつ来たのかという話をします。

ビンラディンを見たという話で盛り上がったりと、大変貴重な経験をしています。


そして必ずアサド政権についてどう思うか、世界は、あるいは日本はどう思っているか。この戦争はどうなるんだという深刻な話になります。


共通して言えることは、皆さんシリアが好きで、シリアに帰りたいと願っているということです。

そして、ジュネーブでの和平交渉や、世界の動きには落胆しているという声をよく聞きます。

もう奇跡でも起こらなければこの戦いは終わらないから、私たちは奇跡が起こることを信じているという声も聞きました。



ある家庭では、15人ほどの大家族が狭いリビングで、テレビでシリアの爆発の様子を見つめておりました。

家族の中には指の無いもの。
点滴を受けているもの。
自閉症の弟。

がいました。


多くの家庭にお邪魔しているのですが、自閉症の子供を多く見かけます。

環境によるものなのか、これだけ多くの家庭へお邪魔していれば相当数出会うことになるのかは分かりません。

私の母親は水泳のインストラクターでした。
小学生の頃、毎週日曜日に、母が教えていた障害を持つ児童への水泳教室へお手伝いに行っていたので、障害の種類や症状について一定の知識があります。
接し方だけでなく、保護者の苦労についてもよく話してくれていたので、自閉症の子供を持つ親のことも私には分かります。



ただ、シリア人の家庭では、母親だけでなく、父親も、子供をよく可愛がっていたのが印象に残っています。


例外もあったことを伝えておきます。

キャンプでは寄ってくる子供を捕まえては頭をなでまくっていますが、手を伸ばすと目をつぶって避けようとする子供も数人いました。
自分がそうであったように、その反応が何を意味するのかが分かります。

そういう子供には手を低く差し出し、握手をしています。



また、ある家庭では、今は不安定な電気で狭い部屋に住んでいるけど、シリアでは24時間安定して電気を使うことができて、5部屋もある大きな家に住んでいたんだと言います。

家は崩壊したそうです。

水も蛇口をひねれば使うことができた。
大学も無料で、シリアは本当に豊かでいい国だったんだと教えてくれました。

今この狭くてボロボロのコンクリートの家に、もう8ヶ月も住んでおり、ここへ来た時は家族みんな、毎日泣いていたのだと言う。


私にはかけてあげられる言葉があった。


私はいろんな国のいろんな貧困問題を見てきた。
彼らは電力の不安定なコンクリートの狭い家で嘆いている。
世界では、電気も水も全くなく、もっとボロボロの家で暮らしている人がたくさんいる。そういう人をずっと見てきた。

だけど彼らのほとんどは、生まれた時からその環境の中で育ち、周りは彼らを貧しいと言うけれど、彼らにとってはそれが当たり前の暮らしであり、文明は進んでおらず便利さもないけれど、悲しみにくれている訳ではない。

悲しみとは、以前の暮らしと今の現実のギャップ、あるいは失ったものの大きさによって生じる。

だから私は、彼らの悲しみが、他の国の貧しさよりも大きなものだということが分かる。彼らの苦しみが、私の見てきた他の国と比べても、最も苦しいということが分かる。


私の家族は貧乏だけれど、先進国と呼ばれる日本で育った。
人々はお金や地位や権力を求め、手に入れたものを失う心配をする必要もなければ、自らそれを手放すこともしない。
豊かさや幸せの定義を間違えていると私は思う。

綺麗な服を着て、おいしい食事を楽しみ、家族や友人と素晴らしい時間を過ごす。

一見、豊かなようであるが、我々はこの生き方しか選ぶことができない。

人生の最も美しい部分は、苦しみや悲しみの中にある。

自分は夢中で一生懸命取り組んできたことも、実は浅はかな年輪を刻み続けていただけだとすると、これほどに空虚な人生はない。

幸いにも日本では、この空虚さに気付くことなく、本人は幸せなまま死んでいくことができる。

苦しみや悲しみの中にこそ、最も味わい深い人生の魅力があると私は信じている。

だから私はお金がないけれど、こうして困っている人たちと向き合いながら、ボランティア活動を続けている。

彼らの苦しみはきっと未来へと繋がる。
美しく、素晴らしい人生を手に入れると信じている。














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2014年2月5日水曜日

極寒のシリア難民キャンプ訪問、過酷すぎる難民の運命


 

最初の発送は20147月以降の予定です。





レバノンとシリアの国境の街アーサル(Arsal)へ行ってきました。


シリアから逃れてくる難民が最も多いルートの1つであり、シリアの反政府軍への武器の密輸ルートにもなっている山岳地帯です。
去年の3月には空爆が行われた地域でもあります。
前日にも隣のHermelという街での自爆テロの様子がLIVE中継されており、非常に不安定で危険な地域であると言えます。
住民のほとんどは、イスラム教スンニ派です。




朝6時に首都ベイルートを出発し、5、6箇所ほど軍の検問を通過。

アーサルへ近づくにつれて一般人の姿は少なくなり、銃を持った軍人、窓や2階部分のない廃墟、車の残骸、瓦礫が目立ちます。


途中にも数箇所、テントで避難生活中の人や、廃墟の中で毛布に包まっている人の姿が確認できました。


ここへ来た目的は、来週からシリア難民支援活動のボランティアを行うための下見であります。

ベイルートも寒いですが、アーサルはさらに寒く、この日の気温は0度。





まず向かったのは、支援物資を保管している倉庫兼現地オフィス。

海外から送られてきた衣類や、寄付金で購入した寝袋が保管されています。

ここでは、シリアから逃れてきた女性陣がスタッフとして働いておりました。
彼女たちは割と元気そうで、温かく迎えてくれました。



この地域で暮らす難民の数に比べて、物資の数があまりにも不足しているということでした。






次に向かったのはのは医療施設。



3人のドクターが無給で診療を行っています。

彼らもシリア人だそうです。
毎日200人程の患者が訪ねてくるそうです。
設備が十分でないことをしきりに訴えておりました。
特に内蔵系の病気はドクターの知識と経験だけが頼りだと言います。
そして、ガンなどの長期の治療が必要な病気には対応できないということです。

暖房設備はありますが、燃料がなく、患者は寒さに震えながら行列を作り待機しておりました。







次に、現在建設中のテントキャンプへ行きました。


辺りは何もない丘で、足場は悪く、採石場を出入りする車両の他は、所々にテントで暮らしている人々の姿が見えます。


この新しいキャンプ地は、2月17日からの難民受け入れに向けての、最終工程の段階でした。
ここへは60世帯が入居することができます。

ここで働いている職人もシリア出身の男性でした。
施工の質が低く、ドア周りや、コンクリートブロックの隙間がどうしても気になってしまいます。

先ほども申し上げましたが、非常に寒い地域です。
この寒さの中、暖房設備もなく、テントの中で暮らすのかと思うと、胸が苦しいです。


移動するために車へ乗り込んだ時、近くのテントから、男の子がパンを持ってきてくれました。


紛争の爆発で右腕を失ったサード君。

いつになるか分からない紛争の終わりをテント生活をしながら待っているのです。






次に向かったのは別の避難民テントキャンプ。

支給された水と、簡易トイレはありますが、寒さの中出歩く人はほとんどおらず、テントの中に身を潜めています。


そのテントの1つで、ダウン症の女の子と出会いました。

目もよく見えず、彼女から感情を受け取ることはありませんでした。






そして、現在建設中のテントキャンプへ入居予定になっている家族のところへ、日用品や食材の配達をしに行きました。

狭い部屋に複数の家族が一緒に暮らしています。


こちらの家では、6世帯30人が一緒に暮らしています。
以前は9世帯が暮らしていたそうです。



次に訪ねた避難ハウスでも、大人数が狭い部屋で暮らし、自閉症の男の子が3人おりました。



過酷な生活環境で体の状態も気になりますが、避難生活が長引くに連れ、心配なのは家族も含めて心の健康状態です。

特に難民の方々の中には、紛争や逃げてくる途中に、身内や友人を亡くした人もいます。
家や財産も失っています。

体も心も傷付いた中、極寒のテントキャンプで、紛争の終わりを待たなければなりません。

支援も十分ではありません。

レバノンへ逃げてくれば助かるという保障はどこにもないのです。

シリアからレバノンへ逃れてきた難民は100万人とも言われていますが、紛争の飛び火、政情の悪化、高い失業率に悩まされるレバノンは人口400万人です。

人口の25%にも及ぶ難民を支援する手立てはないのです。

国際社会からの支援を今、世界で最も必要としています。



そして、間違いなく言えることがあります。

シリア難民の皆さんは、海外からの関心を求めています。


ベイルートに戻ってきても、彼らの姿が頭から離れません。
間違いなく、これまで見てきた中で、最も悲惨で、過酷な状況下に彼らは置かれています。






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