2014年2月20日木曜日

私にはかけてあげられる言葉がある(シリア難民キャンプ10日目)


 
最初の発送は20147月以降の予定です。




シリアとの国境の街アーサルArsalで、難民支援のボランティアをしております。
今日は滞在10日目。





イスラム教スンニ派の人達、本当に優しく平和的でいい人が沢山います。

明るくてフレンドリーな人も多く、子供を大変可愛がっております。

特に女性が明るいことに驚きました。


偉そうな男どもにギャーギャー文句を言い、女性同士では男の悪口をネタに盛り上がっていたりする。


ただ、やはり文化柄というか、宗教柄というか、どうしても女性は男性よりも弱い立場にはあるようです。

そして、子供が死んだ、旦那が死んだ、友達が死んだと泣いている人に毎日のように会います。

普段は明るく振舞っていても、急に落ち込んでしまい、泣き出す人がたくさんいます。
一緒にボランティアをしているシリアの高校生たちも、毎日誰かが泣いてしまいます。
そんな現場です。



私は毎日どこかの家庭へお邪魔しては晩ご飯をご馳走になっています。

うちへおいで、うちへおいでと、ものすごく歓迎されていまして、嬉しい限りです。

家庭によってはテレビを持っているようなところもありますが、電気も点かずに隙間風がひどい家もあります。



私の旅の話や、日本のことを聞かれたり、シリアのどこからいつ来たのかという話をします。

ビンラディンを見たという話で盛り上がったりと、大変貴重な経験をしています。


そして必ずアサド政権についてどう思うか、世界は、あるいは日本はどう思っているか。この戦争はどうなるんだという深刻な話になります。


共通して言えることは、皆さんシリアが好きで、シリアに帰りたいと願っているということです。

そして、ジュネーブでの和平交渉や、世界の動きには落胆しているという声をよく聞きます。

もう奇跡でも起こらなければこの戦いは終わらないから、私たちは奇跡が起こることを信じているという声も聞きました。



ある家庭では、15人ほどの大家族が狭いリビングで、テレビでシリアの爆発の様子を見つめておりました。

家族の中には指の無いもの。
点滴を受けているもの。
自閉症の弟。

がいました。


多くの家庭にお邪魔しているのですが、自閉症の子供を多く見かけます。

環境によるものなのか、これだけ多くの家庭へお邪魔していれば相当数出会うことになるのかは分かりません。

私の母親は水泳のインストラクターでした。
小学生の頃、毎週日曜日に、母が教えていた障害を持つ児童への水泳教室へお手伝いに行っていたので、障害の種類や症状について一定の知識があります。
接し方だけでなく、保護者の苦労についてもよく話してくれていたので、自閉症の子供を持つ親のことも私には分かります。



ただ、シリア人の家庭では、母親だけでなく、父親も、子供をよく可愛がっていたのが印象に残っています。


例外もあったことを伝えておきます。

キャンプでは寄ってくる子供を捕まえては頭をなでまくっていますが、手を伸ばすと目をつぶって避けようとする子供も数人いました。
自分がそうであったように、その反応が何を意味するのかが分かります。

そういう子供には手を低く差し出し、握手をしています。



また、ある家庭では、今は不安定な電気で狭い部屋に住んでいるけど、シリアでは24時間安定して電気を使うことができて、5部屋もある大きな家に住んでいたんだと言います。

家は崩壊したそうです。

水も蛇口をひねれば使うことができた。
大学も無料で、シリアは本当に豊かでいい国だったんだと教えてくれました。

今この狭くてボロボロのコンクリートの家に、もう8ヶ月も住んでおり、ここへ来た時は家族みんな、毎日泣いていたのだと言う。


私にはかけてあげられる言葉があった。


私はいろんな国のいろんな貧困問題を見てきた。
彼らは電力の不安定なコンクリートの狭い家で嘆いている。
世界では、電気も水も全くなく、もっとボロボロの家で暮らしている人がたくさんいる。そういう人をずっと見てきた。

だけど彼らのほとんどは、生まれた時からその環境の中で育ち、周りは彼らを貧しいと言うけれど、彼らにとってはそれが当たり前の暮らしであり、文明は進んでおらず便利さもないけれど、悲しみにくれている訳ではない。

悲しみとは、以前の暮らしと今の現実のギャップ、あるいは失ったものの大きさによって生じる。

だから私は、彼らの悲しみが、他の国の貧しさよりも大きなものだということが分かる。彼らの苦しみが、私の見てきた他の国と比べても、最も苦しいということが分かる。


私の家族は貧乏だけれど、先進国と呼ばれる日本で育った。
人々はお金や地位や権力を求め、手に入れたものを失う心配をする必要もなければ、自らそれを手放すこともしない。
豊かさや幸せの定義を間違えていると私は思う。

綺麗な服を着て、おいしい食事を楽しみ、家族や友人と素晴らしい時間を過ごす。

一見、豊かなようであるが、我々はこの生き方しか選ぶことができない。

人生の最も美しい部分は、苦しみや悲しみの中にある。

自分は夢中で一生懸命取り組んできたことも、実は浅はかな年輪を刻み続けていただけだとすると、これほどに空虚な人生はない。

幸いにも日本では、この空虚さに気付くことなく、本人は幸せなまま死んでいくことができる。

苦しみや悲しみの中にこそ、最も味わい深い人生の魅力があると私は信じている。

だから私はお金がないけれど、こうして困っている人たちと向き合いながら、ボランティア活動を続けている。

彼らの苦しみはきっと未来へと繋がる。
美しく、素晴らしい人生を手に入れると信じている。














不当逮捕されたエチオピアの女性ジャーナリスト「リーヨット・アレム」釈放要求の署名がまだの人はお願いします。





応援してくださる方は、ブログランキングのクリックをお願いします。
毎回クリックして応援して頂けると嬉しいです。
↓↓↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 



↓↓力を貸してください。 

★ジンバブエ農村部の孤児院へ自転車20台を届けるプロジェクト