2014年7月21日月曜日

【恐怖】農村部という概念が消える日


僕は今、福島県内で働いておりまして、地元のテレビでは復興関係のことが取り扱われているものを目にすることが多いのですが、とある村の村長さんの話で、


「3年前には戻らないと思う」



「昔に戻るのではなく、新しい村づくりをやっていく」


ということを語っておられました。



そして、専門家の人は、


「循環と持続の仕組みを確立し、そこで生活が成り立つこと」が必要だと、言っておられました。



これを見て思ったのです。

思ったというか、気付いたのです。


日本の農村部とアフリカの農村部の決定的な違いを。

そして我々が失ったものを。





どういうことか説明します。



実を言うと自分も、アフリカのリアルな農村部を見るまでは、「農村部」というのはどういうものなのかを知りませんでした。


「都会」ではない「田舎」のようなイメージを持っていましたが、それは全く違っていました。


僕が行ってきたアフリカの田舎というのは、ジンバブエ北部の山「マウントダーウィン」にある孤児院。それからエチオピアの首都アジスアババからバスで8時間ほど行ったところにある集落。


マウントダーウィン(ジンバブエ)










辺り一面を緑に囲まれ、石と藁の家々が集落を作り、鳥が鳴き、小川が流れ、牛の鳴き声を掻き消すような雑音はどこにもない。


のどかで、「平和」を絵に描いたような場所でした。



のどかで平和なのは福島の村も一緒ですが、アフリカの農村部では、循環や持続を確立させて、そこに生活を成り立たせなければならない、というような課題を抱えているようには思えません。



農村部での生活が成り立たなくなってきているのは、アフリカよりも日本です。



それは、日本の農村部は、都会と同じく文明が発展した水準にあり、人々はそれを手放すことができないからです。つまりいくら田舎だからと言っても、お金がないと生きていくことができないのです。自然に成立したはずの循環と持続の歯車が狂い、循環させるためのパイプのつなぎ方がいささか複雑なものになってしまっているのです。



一方、産業革命が起きる前の人類の最もスタンダードな暮らしをしているアフリカの農村部では、干ばつなどの災害を除けば、自給自足で不自由のない暮らしができるのです。



電気もなく、木を切って火を起こし、毎日同じようなものを食べる。
おいしくもないけど、まずくもない。



基本的には水は汲みにいかなければならない。



僕はアフリカの農村部で気付きました。


水準が低いと言われている暮らしが苦しいのは先進国の人間だけだって。


食べ物が質素なことも、電気がないことも、誰も辛いなんて思ってやしません。



むしろ、火を囲んで、今日の出来事なんかを話して笑っている姿は、世界の中で最も美しい人間の姿を見たような気がしました。





さっき、アフリカの農村部では自然に循環と持続が成り立っていて、そこで暮らしていくことに何の問題もないと書きましたが、実は少しずつ蝕まれてきているのです。


農村部にも教育や医療が入ってくるようになり、一定の恩恵を受けることもありますが、交通網が整備され始めると、貨幣経済というこれまでになかった価値観が持ち込まれることになります。


コミュニティ間の行き来も容易になり、中継地点は都市化が進みます。


やがて好奇心旺盛な若者は村を離れ、都市部へ移るようになります。お金を得るために。



そうして都市部の暮らしに馴染んでくると、生まれ育った農村部の暮らしを「不便」、「遅れている」「物がない」などと、ネガティブな捉え方をしてしまうようになるのです。


その頃には農村部の暮らしがどれほど素晴らしいかということなんて、忘れてしまっています。


農村部の暮らしの水準を上げなきゃいけない。
かわいそうだ。
貧困だ。
人権侵害だ。



というような考え方まで生まれ、今度は村を発展させようという動きが起きてきます。

その動きを放置した結果、

農地や家畜は残り、一見のどかで平和な状態は保っていますが、すでに貨幣経済に依存した、複雑な循環と持続の土俵に乗せられてしまうのです。



そして、無かったはずの課題を抱え、農村部の本来の良さを失ってしまうのです。


それが今の先進国型の農村部の姿です。





世界で最も美しい人間の姿。


幸せそのものが滲み出ていたジンバブエやエチオピアの農村部の暮らし。


自分でもまさか世界で最も文明の発展していない地域で、最も豊かな人間の姿を感じることになるなんて想像もしていなかった。



これが消えてしまうことは、人類にとって不幸なことです。



僕自身も現場感覚があってこの話が初めてできているわけです。

だから言っている意味を分かってくれる人は少ないかもしれません。


なぜなら我々は既に、喜怒哀楽をお金で買っているから。

そしてそれが正しいことで、どうしようもないことだと思い込んでしまっているから。




社会がこのまま進んでいくと、いつかエチオピアからもジンバブエからも、お金もモノもなくても、幸せいっぱいの心、卓越した想像力と表現力で、回りをも心豊かにしてくれる、そんな真に豊かな人間の姿は消える。



一生懸命働けば、豊かになる。
会社の売り上げが上がれば、豊かになる。
GDPが上がれば、社会はもっと良くなる。


なかなか気付かないけれど、そう信じて失ったものの巨大さに想像力を働かさなければいけないように思うんです。


将来はもう農業なんて成り立たなくなってしまって、人工牛肉、人工フルーツジュース、あるいは錠剤タイプのカロリー吸収剤で、いくら働いても疲れなくなって、仕事中でもボタン一つで家族と無機質なコミュニケーションをとって、

便利になったなー、幸せだなーって。


もう食事なんか取らずに、腰のあたりにプラグを挿して、充電するタイプの人間が主流になってるかも。


農作物なんて作る必要がないんだ。


良質な洗脳プログラムで、意見の食い違いなんて起こらない。


これじゃぁGDPを上げるためのロボットみたいじゃないかって、気付いたときにはもう遅い。


だって、ロボットを300万台作るよりも、1億人をロボットにした方が安いんだから。



ちょっと想像力が働きすぎたけれど、
どこかで、何かのキッカケで社会にブレーキがかからないと、農村部という概念そのものすら消えて、消えた後は誰も何も知らなくなる。



そしてそれはきっと人類にとって良くないことだというのが僕の意見です。








ジンバブエ農村部の孤児院、エチオピアの集落へ行きたいという方は連絡をください。紹介します。










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2014年7月18日金曜日

【ハイチ】避難民キャンプCapvvaの閉鎖





「生きることは苦しいこと。」


ハイチ人の多くはそう思っている。

また、そう言っている人を何度も見た。





大地震、ハリケーンといった天災が、これでもかというほどハイチを襲ってきた。


ハイチは西半球で最も貧しい国と言われています。


地震やハリケーンの被害で、貧しい国になったわけではなく、


西半球で最も貧しい国に大地震やハリケーンが直撃しているのです。






灰色の水溜りで肋骨が剥き出しになった犬が水を飲んでいたり、

いつも渋滞で進まない車に、子どもが寄ってきては何かを貰おうと必死になっている。


洪水で浸水したテントにしか、住む場所のない人達が、今も30万人以上いるようです。






最初の活動場所はハイチにした。


自分に何ができるのかなんて、はっきり言って何も分からなかった。



英語で仕事をしたこともなかったし、先進国以外の国へ行くのは初めてだった。


できることを全力でやろうと、思った。





今日、これを書いているのは、僕が働いていたテントキャンプCapvvaに大きな変化があったから。




現地にいるとき、特に熱心に取り組んできたのは、Capvvaの移転プロジェクトだった。



移転が必要な理由がいくつかある。




テント生活が不衛生で、人間らしい生活とは言えず、この状況を救わなければならないという訴えがある。



耐震設計基準をクリアして鉄筋コンクリートの家なら人間らしい住居なのか。



オートロックならもっと人間らしいか。



シャンデリアがぶら下がってないとまだ人間らしくないかもしれない。







結局、人間らしい暮らしをするための住居の基準ってのはあいまいで、人道支援なんて言葉はいささか胡散臭い部分もある。




本当に困っているかどうか、という目で観察してみることが必要だろうと思う。




そういう観点を持った上で、ハイチのテント生活者は本当に苦しんでいると、僕は自信を持って言います。




特に女性がテント生活の苦痛を訴えます。

蚊がうるさくて寝られない。大雨で浸水して中がびちょびちょだ。というようなことを聞きました。



実際に生活環境から来るストレスを抱えている人は多く、キャンプ内では些細なことで喧嘩が起きます。


目にした喧嘩も、女性同士のケースが多かったです。


男性と比べると、昼間も家事や子育てに追われ、ストレスを発散する機会が無いことに気づきます。





ちなみに2010年に大地震が起き、現在まで4年間もテント生活をしていると考えると、相当しんどいだろうと察します。




そしてもう1つ移転が必要な理由があります。

地震直後に建てられたキャンプには、私有地に建てられたものも多く、土地の所有者から追い出されてしまうということが実際に起こります。


Capvvaも私有地に建てられているので、いつ強制退去させられるか分かりません。

だから早く新しく住む場所を、どうにかしなければならなかったのです。






移転先の候補地へ足を運び、視察をし、地権者と話をし、







炎天下のキャンプで、テントを一軒一軒訪ねて住民リストを作り、夜遅くまでパソコンに入力していた。


テントに何世帯、何人が住んでいるのかが決まらないと、移転先に何軒家を建てればいいのか、学校や協会のキャパはどれくらいにすればいいのか決まらない。


そういう調査をやった。


住民調査。気温が35度を超える日もあった。





テント1張ずつに番号を付けて管理




移転予定先の地権者との調整






調査記録を全てパソコンに入力











現地を離れても、その後の動向を見守り続けていたけれど、住民はCapvvaから退去することになった。



強制退去ではないけれど、ほとんど強制のようなものです。




IOM(国際移住機関)から1世帯500ドル程度が支払われ、Capvvaに住むおよそ2000人のうち75%が4年間のキャンプ生活を終え、キャンプのあったシテソレイユのどこかに家を借りたり、移転予定地だったチタエンへ移る人もいるようです。



実際に誰がどこへ行ったというのは、正確には伝わっておりませんが、Capvvaから人が出ていく動きが、まさに今起きているようです。



今週末には、Capvvaは閉鎖になります。



結局のところ、自分たちの力だけで移転を達成させることはできず、IOM(国際移住機関)によって今回の決断が下されたということになります。




少し嬉しかったことは、僕が作った住民調査の記録が、今回のCapvvaからの転出に役立ったと感謝されたことです。




思うことはたくさんあります。



本気で移転に向けて取り組んでいたら、自分たちの力だけでできたんじゃないか。


500ドル渡してキャンプから出て行っても、仕事のない彼らに明るい生活は望めないんじゃないか。



団体の抱えている問題もよく知っています。


現地のスタッフはクレムソンとジェームズの2人だけど、仲は悪いし、サボり癖もある。






米軍勤務のアダムが代表だけれど、遠隔指示だと中々イメージ通りに実行に移せない。


少し考え方もズレテルし。




例えば、移転のために住民調査をやってるのに、


同じ調査票に「マイクロファイナンスプログラムで事業をやりたいかどうか」も調べてほしいと言いだしてみたり、



既に移転プロジェクトを実行した他の団体の計画を参考にさせてもらえば早い話なのに、それをやらなかったり。



ハイチの建設業者に発注しないと、ハイチ経済のためにならないとか言ってたり。





考え方はすごく分かるけど、アクションが遅いんです。



IOMに最期持っていかれたら意味ない。








ハイチの建設業者とのやり取りを一緒にしていたけど、


アダムは決して「次に地震がきて崩れても、国際的な建築基準を満たしてなくてもいいからとにかく安く世帯数分の家を作りたい」と言わなかった。


誰かが勇気を出して決めなければいけないことがある。
その時には、リスクを取りに行ったり、命を天秤にかけたりしなきゃいけないときだってある。




ハイチのどこに国際的な建築基準を満たした家がありますかって。




レバノンのシリア難民支援をやってるキャロルなら翌週には家建て始めてるよきっと。


緊急の支援なら尚更、スピーディーな決断は大事だけど、それができなかったんだろう。


もちろん、アダムが毎日のようにハイチのスタッフや取締役と連絡を取って、何とかプロジェクトを前に進めていこうとして努力していたことはよく知っています。




自分だって、ハイチにずっと留まるっていう選択肢がありながら、自分の都合でハイチを離れたわけだから、全然偉そうなことは言えない。



学ぶべきことがあるとすると、小規模なNPOってのは常に完璧ではなく、どちらかというと欠点が多い分、自分の力で変えていけるところは多いということですね。


そして、取り組んだことが美しい成果になれば、誰もが納得するんだろうけど、

現実には、思いどうりにいかないことの方が多いし、実を結ばないことの方が多いのかもしれない、この分野での取り組みにおいて、出てきた結果からポジティブな要素を拾い出して誇張するよりも、ネガティブな側面と向き合って、反省に時間を費やす方が、得るものは多いのかもしれない。







とにかく、炎天下のキャンプを走り回ったことや、寝る間を惜しんで働いたあの1カ月が、望んでいた結果にならなかったことは事実です。









極論を使って正当化するなら、避難民にとっても、誰かがどうにかしてくれるのを待つんじゃなくて、キャンプに住めなくなったことで、自分でどうにかしなければならない状況ができたことになる。

人間はそんなに弱くないし、支援依存から抜け出して、自分たちの足で立つためには、そうせざるを得ない状況に自らの身を置くことってのは大事です。

いつまでも誰かがどうにかしてくれるのを待っててもダメ。ということです。




だけどNPOの立場で考えると、立てた目標は達成させなきゃだよな、って思います。



今後もハイチでの活動は続くようです。

農業分野での取り組みを始めるという話も聞いております。



ハイチへ行かれる方がいれば連絡をください。

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2014年7月9日水曜日

イラクを騒がしているイスラム武装組織ISISがレバノン攻撃を準備中。アーサルでも暗躍。

2014年2月、レバノンとシリアの国境地域で一緒にテントを建て、救援物資を配達したシリアの皆さんとは、今でもWhatsAppなどで連絡を取り合っています。

相変わらずの生活だけど、極寒の冬よりはいくらかマシだそうです。



レバノンに居た時はいくつか素敵で不思議な出会いがあった。

首都ベイルートにいるころは、レバノン人歌手の家で、Global Postの女性ジャーナリストのトレーシーと、中国の新疆ウイグル自治区出身のウーさんと一緒に住ませていただいていた。


ウーさんはアラビア語どころか、英語もほとんどできないにもかかわらず、1人で中東を旅していた。

僕の活動に興味を持ったらしく、初めてアーサルへ行った日、ウーさんも着いてきた。


ウーさんは結局何を言っているのかよく分からなかったが、いい人ではあるようで、100ドルを出して、何かを言っていた。

シリア難民の子供たちのために使ってくれ、というような感じだったと思う。



ベイルートへ戻った翌々日には、ウーさんはヨルダンへと行ってしまった。



そして僕は、次の週末からはシリアとの国境地域アーサルへ移動し、シリア人ドクターが診察をしている診療所で寝泊まりする生活を2週間続けた。


そこで見たのは、あまりにも深刻なシリア難民の窮状。


戦況が悪化し、アーサルの危険度が増したため、国際団体が退避する中、記事にしてもらうためにトレーシーを呼ぶと、団体の代表のキャロルと一緒にアーサルへ来てくれた。

ちなみにキャロルの以前の職場はアルジャジーラ(English)である。


ちょうどレバノンを出発する数日前、トレーシーはフリーランスになったが、ちょうど同じ時期に、そのレバノン人歌手の家に転がり込んできたスウェーデン出身のリニア。


僕との興味の対象が驚くほど一致していて、これまでにハイチ、コロンビア、ファベーラでの活動経験もあり、話は盛り上がった。


迷わず、アーサルでシリア難民の支援活動を行っているキャロルの団体を紹介し、一緒にオフィスを訪ねた。


そして、ちょうど僕がレバノンを離れた2日後、リニアはアーサルへ向かう予定だった。

けれども、スウェーデンの大使から直接止められたそうだ。

ちょうど2月に外国人の誘拐事件が起きたばかりだ。

だからリニアはアーサルへは行くことができず、そのままスウェーデンへ帰った。

しかし、先週、再びレバノンへと戻ったとの知らせを聞いた。


ベイルートでオフィスワークをこなしながら、アーサルへ行くタイミングを伺うようだ。



彼女の活躍を見守りたいと思う。





そしてアーサルの動きについてもアンテナを張っていたい。



キャロルは取材のためにイラクへ向かい帰ってきたばかりだ。

今レバノンで最もイラク、シリア情勢を詳しく語るジャーナリストの1人と言われている。



キャロルのインタビュー(先月)




最近は地元のメディアに出演する機会が多い。




というのも、シリアもレバノンもイスラエルも、現在イラクで起きている混乱の影響を多く受けるためである。

複雑な中東情勢を読み解き、何を、そして誰を守ろうとしているのか。
ジャーナリストの腹の中にはそうゆうものがある。



中立性を疑わせないのが、一流なのかもしれない。



キャロルやトレーシーを見ていると、そんなことを考えるのである。








さて、今日は最近イラク情勢の不安定さと一緒によく登場するISIS(イラクとシリアのイスラム国)と、レバノン、アーサルに関係するニュースを紹介します。



以下、レバノン紙「デイリースター」から、現在イラクを騒がしているイスラム武装組織ISISがレバノン攻撃を準備して、アーサルで暗躍していたことを報道する記事の翻訳。





過激派集団がレバノンの複数の場所をターゲットにして攻撃するための装備を整えているという情報を入手したと、日刊Ad-Diyar誌がサンデー誌に伝えた。

Ad-Diyar誌が手に入れた、ISFのトップであるイブラヒム・バスバウス少将のサインが書かれた流出した安全保障にかかわる文書から、ISISがベッカー高原北部にあるシーア派とクリスチャンの集落を襲撃する計画をしていたということが明らかになった。


201448日付のある書類によれば、5人のサウジアラビア人と1人のイラク人からなる6人のISISのメンバーたちがベッカー高原北部のシリアとの境界地域のアーサルで行動しており、南レバノンのAin al-Hilwehにあるパレスチナ難民キャンプに偽造したIDで侵入しようとしていたことがわかった。


文書によれば、その集団のメンバーの年齢は28から45歳までで、偽造されたパレスチナ人のIDを使って行動し、レバノンへの攻撃を準備していたという。この文書が発見されたことによってISFとレバノン軍は協力して過激派集団のメンバーを逮捕するに至った。

レバノン当局はツイッターのフィードでレバノンの複数の箇所をターゲットに攻撃をするというメッセージをツイッターのフィードで発信して脅していた、Free Sunni Brigades in Baalbekと呼ばれる正体不明のグループによって出された偽の脅迫を気にもかけなかった。

先週、その集団は聖戦に身を捧げる者たちからなる特別なグループを「Muslim Bekaa Emiratesを特に、広くはレバノンを教会から浄化する。」ために任命したことを表明した。集団はまた、その地域のすべてのキリスト教のシンボルを破壊することを誓い、スンニ派の人々に教会から離れるように強く求めた。

パレスチナの情報筋はデイリー・スター誌に、レバノン当局がAin al-Hilwehを拠点にしているテロリスト集団に対する組織的捜査に乗り出していたということを、Ain al-Hilweh内部の治安維持を任務として与えられた150人の屈強な特殊部隊が78日についに展開するだろうということを強調しながら語った。


しかし配置はそう簡単にはいきそうもない。上記の情報筋が同時にAd-Diyar誌に明らかにしたところによれば、キャンプのTaware近隣を拠点にするイスラム系の派閥が特殊部隊によるキャンプ内のいかなるパトロールも拒絶し、Tawareにこれ以上治安部隊が入ることを阻止するだろうと警告したという。

特殊部隊を結成するという決定がなされたのは、キャンプ内での過激的なFatah al-IslamのグループとFatah Movementの支持者たちによる衝突が何度かあってからのことだった。

2007年、レバノン軍とFatah al-Islamによるレバノン北部のNahr al-Baredの難民キャンプでの衝突がキャンプを破壊し、数万の家族たちが避難せざるを得なくなった。彼らの大部分は争いの終わって7年がたっても未だに彼らの故郷に戻ることは出来ていない。



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既に複数の異なる勢力が存在し、衝突している。

シリア国外難民が最も多く生活するレバノンへ、戦火が飛び火する可能性は以前から指摘されている通りだ。


政情も社会基盤も不安定なレバノンでは、国内だけでなく、周辺国の動きが、人々の運命を分けるのである。



そんな中で、終わりの見えない戦争の行方を祈りながら見つめ、何もない山岳地帯でテント生活を続けているシリアの人々がいるのです。



僕にできることを続けていきたいと思います。


レバノンのシリア難民支援のボランティアへ行きたい人は連絡をください。いろいろ紹介します。











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2014年7月5日土曜日

【高校生アフリカ貧困会議6月1日】アフリカの貧困と医療、そして支援の在り方

6月1日(日) 福島から新幹線で東京へ向かいました。




青山一丁目駅と外苑前駅の間ほどにあるアスカワスタジオへ来るのは3週間ぶりのことでした。



前回は、高校生アフリカ貧困会議のプレイベントで登壇をさせていただき、自分の目で見てきたアフリカのことについて話をさせていただきました。




有難いことに、この日の本イベントにも有識者として招待していただいたのです。






僕の任務は、高校生100人を分けたグループの1つに入り、高校生と一緒にディスカッションすることです。









会場へ着くと、午前の部がまだ終わっておらず、池上彰さんの話を聞くことができました。









池上さんは中東情勢にも熱心で、シリア問題を伝えるジャーナリストとしては、国内最強の方です。






レバノンのシリア難民の皆さんのために自分の人生を使うことを決めている僕は、池上さんを心から尊敬しており、お目にかかれたことを大変光栄に思っています。








田舎者なので、本物を見て実はすごく興奮しました。





















そして午後の部。





「教育」「人権」「インフラ」「医療」「紛争」のグループが2組ずつあり、何のテーマでもいけますが、僕の担当は「医療」でした。















今日は、医療を担当するにあたり、準備した資料の中にまとめていたデータや活動の振り返りをここで紹介したいと思います。




















『アフリカの貧困と医療について』







アフリカの貧困と医療について考えるときに、HIVの問題を避けては通れません。




HIV感染マップ



南アフリカではHIV感染者への支援を行っている団体の活動や診療所の様子を拝見し、感染者率が25%と言われている地域にあるユースセンターで住み込みで働きました。





ジンバブエではエイズで親を亡くした子ども達と一緒に孤児院で暮らし、ケニアでは、コミュニティでの孤立や嫌がらせに立ち向かうため結成されたHIVの女性グループと一緒に活動しました。





なので、HIVについては、国や団体、地域での取り組みや現状、あるいは感染者の苦難のことなど、いろんな角度で話すことができると思っています。















HIVと貧困には強い繋がりがあります。




HIVによってもたらされる貧困と、貧困によってもたらされる貧困というものがあります。








HIVによってもたらされる貧困というのは、親がエイズで死んでしまって働き手を失うことで貧乏な暮らしをすることになってしまうことや、HIVの治療を受けるために掛かる費用が生活を圧迫することが挙げられます。また、働き盛りの年齢層の人々がエイズによって死んでしまうことは、国の経済にとっても大きなマイナスです。







貧困によってもたらされるHIVというのは、地域が貧しく、雇用機会に乏しい事情から、売春などの性産業で収入を得ようとすることで、HIVが広まっていきます。






また、収入を得るために出稼ぎ労働を行う人々もまた、不特定多数とのセックスと、地域間の移動によって、HIVの蔓延、拡散という現象を引き起こします。




さらに、貧しいことで、医療サービスを受ける余裕がないために、検査や治療を行うことができないことも、HIVが貧困によってもたらされている一面として挙げられます。















最近の日本の学校で、どの程度の性教育が行われているのかは知りませんが、恐らくは、「コンドームを使えば大丈夫」くらいのものだろうと思います。









それは間違いではありませんが、南アフリカの性教育はもっとディープです。


HIV&エイズのテキスト


HIVの蔓延が世界の中でも特に深刻な南アフリカでは、この問題への取り組みが国の運命を左右するのです。



だから南アフリカは国策として、教育分野でもHIV対策を積極的に行っていて、実際に効果を上げてきています。









エイズの感染経路は大きく分けて3パターンあり、それぞれに有効な対策があります。








1、セックスによる感染
感染経路のうち、最も多いのがセックスによる感染です。



これは、コンドームを使っての感染予防が効果的です。




しかし、それ以上のことが南アフリカの子供向けの教科書には書いてあります。






具体的に、どんなパートナーと、どんなセックスをすると感染しやすいか、ということです。




不特定多数とのセックスや、売春婦とセックスすることは、感染確率が高いことが書いてあります。HIV感染の機会の多さということです。




女性同士のセックスよりも男性同士のセックスの方が感染しやすいということが書いてあります。



傷を作ったり、出血を伴うようなアブノーマルなセックスにより、血液と精液の接触が起こることで感染確率が上がるのです。




テキストには、具体的に男性同士の肛門を使ったセックスが出血の可能性が高く、感染しやすいので、男性同士でもコンドームを使う必要があることについて書いてあります。





コンドームを使うだけでなく、出血を伴うようなアブノーマルなセックスを避けることが、具体的な対策として示されています。





子どもを持ちたい夫婦はどうすればいいのでしょうか。




これにも対策はあります。





夫が感染しているパターン、妻が感染しているパターン、両方が感染しているパターンによって、異なりますが、精液洗浄技術や、人工授精、体外受精などの人工妊娠技術があります。





これは、技術としては存在しますが、貧困層にとってはコストの問題が立ちはだかっています。
















2、母子感染






妊娠中にHIV感染している母親から、お腹の中にいる子供へ感染する母子感染。





これも適切な対策を実施すれば、防ぐことができます。





完全にゼロにはできませんが、対策を施した場合は感染率30%とも言われているのに対し、これを1%以下にまで減らすことができるのです。










適切な対策について書きます。







・妊娠14週以降、抗HIV薬を服用する。
14週以前に服用を始めても効果がありません。14週以降から服用をスタートします。
これによって、体内でウイルスが成長すること、増殖することを抑えます。







・分娩時、抗HIV薬を点滴
分娩、出産時に血液接触の可能性が上がるため、分娩時の対策が必要なのです。最後まで、赤ちゃんにウイルスを移さないようにします。







・予定帝王切開
陣痛が始まってからでは、内部で出血の可能性があるので、陣痛が始まる前に、計画的に帝王切開を行うのです。







・断乳
母乳を与えると感染させてしまうので、粉ミルクで育てるようにします。







・赤ちゃんに抗HIV薬を飲ませる。
赤ちゃんに6週間ほど、抗HIV薬を飲ませます。














3、血液感染

血液の接触により感染するパターンです。




代表的な感染機会は、輸血と注射器の使いまわしです。





医療現場の管理体制や質の向上により改善していくことができます。





注射器の使いまわしは医療現場でも起こりますが、覚せい剤を注射するときに、使いまわすケースもあります。










HIV/エイズへの取り組みは、拡散や蔓延を阻止する段階と、感染率を減らしていく段階での取り組みが、地域ごとに求められます。






いずれにしても、人に移さないことで、家族や恋人、友人、地域を守ることを知ってもらわなければなりません。






HIV対策を含んだ性教育に力を入れることがまず必要です。






それから、それぞれの感染パターンと、感染段階によって対策は違ってきます。





自覚症状がないことから、検査による早期発見が大事なのです。














と、感染パターンと、感染の進行具合によって、具体的な対策は変わってきます。








検査を受けることがまず大事で、感染を拡大することを防ぎ、自分自身とパートナーや子供、そして地域を守るという意識が育っていくことが求められます。




















ずらずらと書いてしまいましたが、貧困と医療というテーマは深すぎます。








他にも、医療現場の抱える問題、差別、教育分野での試み、ワクチンの開発と流通など、特筆するべき部分が多すぎて、今回だけでは書ききらないと気づきました。






エイズ以外にも、マラリアや下痢などの、現代では死ぬ必要のない病気で死んでいる人が多いこおにも目を向けなければなりません。






さらには、医療分野での「支援」というものに踏み切るとき、「死生観の相違」について触れないわけにはいけません。










というわけで、今日はここでやめておきます。続きはまた別の機会に書きます。







































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