2014年1月、エチオピアのホテルに泥棒が入り、パソコン、カメラなど、活動のために必要な道具を失ってしまった。
ハイチ、コロンビア、ブラジル、南アフリカ、ジンバブエ、ケニア、エチオピアへ、それぞれ30日~50日滞在し、いつも飛行機で移動してきた。
その時はもう、バイトで貯めた活動資金もほとんど残ってなかった。
いろいろ考えた末、帰国を考えることにしました。
だけどどういうわけか、中東へ行かなければならないような気持ちになったのです。
冷静さはありました。
同時に、直感と運命を強く信じながら行先を決めてきたのです。
いつの間にかそうしていたのではなく、アフリカ滞在中に、そういう考え方が育ってきたのだと思います。
そういう人達との出会いが多かったからだと思っています。
貧困と民主主義。都市部と農村部の圧倒的な違い。支援とは。
いろいろなことを学んだエチオピア。
雨が降りにくいために、頻繁に飢饉が起きるエチオピア。
最終日、空港へ向かうとき、
この国に来て初めての雨が降っていた。
1月30日。母さんの命日だな。
そんなことを思い出した。
エチオピアのアジスアババから、レバノンのベイルートへと向かった。
テーマは最初から決まっていた。
「シリア難民問題」
日本のNGO/NPOのシリア難民支援のほとんどは、ヨルダンのザータリキャンプでの活動です。
そして、イラクとシリア国内。
国際機関も、メディアも、どういうわけかレバノンのシリア難民の優先順位を低く扱っているようでもあります。
実はレバノンは100万人以上(国外最大)のシリア難民が逃れてきています。
なぜ、レバノンを選んだのか。
直感でした。
けれどもここで、素晴らしい出会いをしました。
そして、悲惨な光景も目にしました。
今思えば、シリア難民の皆さんのために、いろんな国でのいろんな経験が、自分を成長させてくれていたかのようにも思っています。
ベイルートに到着後、最初は
カウチサーフィンで知り合ったレバノン人歌手の家に泊めてもらいました。
同じ家には、Global Postのジャーナリスト、トレイシー・シェルトンという女性も住んでいました。
日本語に訳された記事もいくつかあります。
ニセ残虐画像がもたらす果てしない混乱
トレイシーは中東の紛争取材の超ベテラン。
彼女が撮影したこの写真はまさに紛争の最前線の様子。
Life and Death in Aleppo
一緒に食事をしながら、ジャーナリズムについてや、シリアの状況、そして危機管理についてなど、いろいろと聞くことができました。
リビアのホテルで拘束され、窓から逃げた時の話は今でもよく覚えています。
そして、支援団体への接触を始めました。
首都ベイルートに拠点を持ち、難民キャンプで活動をしている団体を探しました。
オフィスを訪ねて、あっさりとキャンプ地まで行く日程が決まりました。
受け入れてくれたのはLebanese for Syrian Refugeesという団体の代表キャロル。
以前はアルジャジーラ(英語版)に勤めており、今もイラク、シリア、レバノン、トルコへ自ら足を運んで、ジャーナリストとしての仕事と、支援活動を行っているのです。
最近キャロルがテレビ出演したときの様子。
団体は週末にベイルートから、シリアとの国境地域のアーサルへと支援物資などを届けに行きます。
現地の組織と協力しながら、物資の保管と分配などを行います。
診療所へ薬を届けてもいます。
最初の週末にアーサルへ日帰りで訪ねました。
ちょうど、難民を受け入れるためのキャンプが完成間近でした。
まだ、シリア人の職人さんが最終仕上げを行っている途中でした。
次の週末に再びアーサルへ行き、2週間、滞在しました。
行くことも簡単ではなく、数か所の軍の検問で長いときは30分以上止められます。
クリニックで寝泊まりしながら、毎日キャンプへ行って、新しい入居者への物資の配達を行いました。
別の新しいキャンプの建設も一緒に行いました。
アーサルに滞在中、トレイシーを呼び込んで、伝えていただきました。
http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/middle-east/140317/meet-the-syrians-who-fled-yabroud-and-are-afraid-give-the-u
2週間の滞在中、心細く思ったことはありません。
いつも誰かが家に招待してくれていました。
テントに招かれては、マッテ(甘いお茶)やひまわりの種を食べさせていただいていました。
診療所ではドクターが無給で、朝から晩まで働き、
学校でも粗悪な環境の中、ボランティアの先生が授業を行っていました。
みんなシリアの人達です。
みんな親切で、暖かい人たちでした。
こんなに悲惨な状況下で、この人たちは何て美しい心を持っているのかと、感動させられたのです。
アーサルが今、緊急事態です。
8月は5日間、戦闘が勃発し、その間に多くの難民キャンプが焼き払われました。
拷問もありました。
先月は100人以上が殺されたと、ドクターが教えてくれました。
3日前には、6発のミサイルが着弾しました。
http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/09/lebanon-arsal-syrian-rebels-201492295223327962.html
ヒズボラの検問所に自爆攻撃も起きています。
スンニ派と敵対関係のヒズボラが政治的権力を持っており、レバノン軍もほぼ、その支配下にあります。
これは、レバノン軍によるシリア人への拷問の様子です。
働くことも規制され、貧困の真っ只中に置かれているということです。
8月、ほとんどのキャンプが燃やされた中で、毎日通ったキャンプは、燃やされていないという情報はもらいましたが、キャンプのある地域へは立ち入りができなくなっています。
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キャンプの子供たち |
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ドクターモスタファ |
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ボランティアの女の子たち |
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一緒にテントを建てた仲間たち |
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マホムード |
現地の人達とやりとりしておりますが、いよいよ切羽詰まった状況が伺い知れます。
これは本当の話です。
レバノン軍を支援して、テロ対策を強化することで、アーサルに住む難民の皆さんは救われません。
http://japanese.cri.cn/881/2014/08/27/201s225703.htm
「軍を支援する」なんていう選択は、ありえないのです。
確かにシリア難民の中に自由シリア軍の兵士もいます。
打たれたばかりで、治療も受けられないままテントで横たわっている青年にも会いました。
だけど、レバノンで戦闘をする意思なんてない。
レバノン軍がシリア難民を責め上げれば、仕返しのようなことも起きる。
レバノンが紛争地化すれば、100万人を超えるシリア難民に未来はないんです。
これまで届いていたところにも支援は届かなくなる。
ヒズボラを相手にすれば、中東情勢のさらなる泥沼化は避けれれない。
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燃やされたキャンプ |
人権団体、国際NGO、メディアの方々、本当に伝えないといけないのは、誰も伝えてくれない、アーサルで起きている紛争、貧困、人権侵害じゃありませんか。
国連高等弁務官事務所(UNHCR)にも電話してみたんです。
どの程度、情報を把握しているのかも、教えてもらえず、「寄付」という選択肢を紹介されました。
UNHCRのロゴが入ったテントは見たけど、アーサルでは誰も活動していないじゃありませんか。
そもそも、アーサルにいるシリア難民の人達は、難民登録されていない人達も多くいるのです。
ヒズボラの検問所をどうやって抜けていって、難民登録するんですか。
薬、服、食糧、子供用のミルク、お金。
緊急で、必要だということです。
助けてくれ、と言われたら、やるしかありません。
だけども私にできることの選択肢はあまりありません。
薬、服、食糧、子ども用のミルク、お金を、少しでも多く現地に届けたいと思います。
自分で50万円くらい貯めておこうと思っていますが、話を聞いた感じだと足りなさそうなので、募金をお願いするかもしれません。
服を送ってくれる人も大歓迎です。
アーサルは本当に寒くて雪が降りますので、暖かい冬服は有難いです。
必要な薬はドクターに聞いてみます。
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