2014年9月28日日曜日

ダーウィンの悪夢

週末、TSUTAYAで「ダーウィンの悪夢」- Darwin's Nightmareを借りて見ていました。



舞台はタンザニア。
世界で2番目に大きい湖として知られる「ビクトリア湖」周辺で、元々、湖には生息していなかった「ナイルパーチ」という外来種の巨大魚を、海外へ売ることで漁業や魚の加工業は成長し、多くの雇用を生み出した。

その一方で、所得格差を生み、ストリートチルドレン、売春、HIVの蔓延などの悲劇を助長していることや、生態系の破壊を伝えるドキュメンタリー映画です。


ヨーロッパからやってくる飛行機は、ナイルパーチを積んで帰っていきますが、来るときは一体何を持ってくるのか。

コンゴやアンゴラの紛争で使用される武器を運んでいた可能性についても証言されています。




貧困は様々な要因があって生じるので、全てをナイルパーチと結びつけるのは少し強引だけれど、「経済成長」「雇用創出」のポジティブな側面だけを抜き取って評価されてしまいがちな、途上国への開発支援や、商取引の拡大の裏では、悲しい現実を生み出していることも事実なのです。



加工されたナイルパーチを輸入したい国は、自分の国で生産するよりも安いから輸入するのです。

ですが、現地の人にとっては高くて食べることができません。




虫の集った魚の頭部や骨を拾っている貧困層の人々の姿はとても衝撃的なものでした。





ちなみに日本もまた、タンザニア産ナイルパーチを輸入している国の1つです。





「アフリカはなぜ貧しいの?」という問いは随分と的外れでありますが、同じ東アフリカでもケニア、エチオピア、ソマリア、タンザニアなどのそれぞれの国の社会問題の背景は異なるのですね。


背景を細かく分けると違いますが、ストリートチルドレン、売春、HIVの蔓延という貧困の症状は、都市部によく見られるものです。


また、出稼ぎに出た夫や身内を失ったことによる家計の圧迫は農村部も巻き込みます。


出稼ぎ先での死因は、労働環境の悪さや危険を伴う作業によるものと、HIV感染が一般的に上げられます。


この構図は他の国にも当てはまります。




開発のスピードと、生じてくる格差と、広がっていく格差の中で、「痛み」が症状として現れます。




なので、都市部の貧困層は、開発が遅れていることによるわけではなく、開発によって生まれてくるわけなのです。




発展のスピードと国内での地域のバランスを取らなければなりません。


この舵取りを担うのは、その国の政府です。




しかし、先進国と途上国の政府の間には力の差が存在します。

これは技術援助やODAによる開発援助で債務を抱えていたり、輸出国輸入国間にある力関係に起因していたりします。


元々の政治機能の脆弱さに加え、力の差のある相手国からの多額の資金流入は、この舵取りをうまくいかせないのです。






日本も過去の東南アジアへの開発援助では、フィリピンやインドネシアなどで農業改革を行い、雇用創出や食糧自給率上げてきたことで一定の評価を受けていますが、格差と貧困を生み、争いの原因を作り出したとの批判もあります。


それにより日本は農作物を安価で輸入できるようになったのです。そして最大の輸出先となったのです。




古くからの歴史をたどると、食糧を生産すること以外に使うことのできる労力によって、文明は発達してきました。



日本は食糧を輸入に頼っているというよりも、より付加価値の高い工業製品などを輸出するために、食糧を安く調達する手段を選択しているように思います。


援助というのは、そのための戦略で用いられたり、批判を生まないための緩衝材のような役割を果たすのです。



純粋に人助けの精神で国家間の援助が行われることはまずありえないのです。



▼アパルトヘイト政策に対して国際社会が南アフリカに経済制裁を発動させる中、日本は取引を続けた。現地の人が飢餓に喘いでいる中、輸入したトウモロコシなどは豚の餌に。

アパルトヘイトと日本の罪






開発援助の光の部分を誇張するだけではなく、影の部分にしっかり目を向ける姿勢が必要だと思います。






開発援助の光と影―援助する側・される側 (全集 世界の食料世界の農村)










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2014年9月23日火曜日

アーサルのシリア難民を襲う拷問


2014年1月、エチオピアのホテルに泥棒が入り、パソコン、カメラなど、活動のために必要な道具を失ってしまった。




ハイチ、コロンビア、ブラジル、南アフリカ、ジンバブエ、ケニア、エチオピアへ、それぞれ30日~50日滞在し、いつも飛行機で移動してきた。


その時はもう、バイトで貯めた活動資金もほとんど残ってなかった。




いろいろ考えた末、帰国を考えることにしました。





だけどどういうわけか、中東へ行かなければならないような気持ちになったのです。





冷静さはありました。

同時に、直感と運命を強く信じながら行先を決めてきたのです。



いつの間にかそうしていたのではなく、アフリカ滞在中に、そういう考え方が育ってきたのだと思います。


そういう人達との出会いが多かったからだと思っています。











貧困と民主主義。都市部と農村部の圧倒的な違い。支援とは。

いろいろなことを学んだエチオピア。



雨が降りにくいために、頻繁に飢饉が起きるエチオピア。




最終日、空港へ向かうとき、

この国に来て初めての雨が降っていた。


1月30日。母さんの命日だな。

そんなことを思い出した。









エチオピアのアジスアババから、レバノンのベイルートへと向かった。




テーマは最初から決まっていた。


「シリア難民問題」









日本のNGO/NPOのシリア難民支援のほとんどは、ヨルダンのザータリキャンプでの活動です。

そして、イラクとシリア国内。

国際機関も、メディアも、どういうわけかレバノンのシリア難民の優先順位を低く扱っているようでもあります。








実はレバノンは100万人以上(国外最大)のシリア難民が逃れてきています。



なぜ、レバノンを選んだのか。

直感でした。






けれどもここで、素晴らしい出会いをしました。

そして、悲惨な光景も目にしました。


今思えば、シリア難民の皆さんのために、いろんな国でのいろんな経験が、自分を成長させてくれていたかのようにも思っています。













ベイルートに到着後、最初はカウチサーフィンで知り合ったレバノン人歌手の家に泊めてもらいました。


同じ家には、Global Postのジャーナリスト、トレイシー・シェルトンという女性も住んでいました。



日本語に訳された記事もいくつかあります。

ニセ残虐画像がもたらす果てしない混乱


トレイシーは中東の紛争取材の超ベテラン。

彼女が撮影したこの写真はまさに紛争の最前線の様子。
Life and Death in Aleppo



一緒に食事をしながら、ジャーナリズムについてや、シリアの状況、そして危機管理についてなど、いろいろと聞くことができました。



リビアのホテルで拘束され、窓から逃げた時の話は今でもよく覚えています。







そして、支援団体への接触を始めました。



首都ベイルートに拠点を持ち、難民キャンプで活動をしている団体を探しました。

オフィスを訪ねて、あっさりとキャンプ地まで行く日程が決まりました。



受け入れてくれたのはLebanese for Syrian Refugeesという団体の代表キャロル。

以前はアルジャジーラ(英語版)に勤めており、今もイラク、シリア、レバノン、トルコへ自ら足を運んで、ジャーナリストとしての仕事と、支援活動を行っているのです。





最近キャロルがテレビ出演したときの様子。








団体は週末にベイルートから、シリアとの国境地域のアーサルへと支援物資などを届けに行きます。

現地の組織と協力しながら、物資の保管と分配などを行います。

診療所へ薬を届けてもいます。





最初の週末にアーサルへ日帰りで訪ねました。

ちょうど、難民を受け入れるためのキャンプが完成間近でした。









まだ、シリア人の職人さんが最終仕上げを行っている途中でした。






次の週末に再びアーサルへ行き、2週間、滞在しました。



行くことも簡単ではなく、数か所の軍の検問で長いときは30分以上止められます。





クリニックで寝泊まりしながら、毎日キャンプへ行って、新しい入居者への物資の配達を行いました。



別の新しいキャンプの建設も一緒に行いました。





アーサルに滞在中、トレイシーを呼び込んで、伝えていただきました。

http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/middle-east/140317/meet-the-syrians-who-fled-yabroud-and-are-afraid-give-the-u












2週間の滞在中、心細く思ったことはありません。


いつも誰かが家に招待してくれていました。


テントに招かれては、マッテ(甘いお茶)やひまわりの種を食べさせていただいていました。


診療所ではドクターが無給で、朝から晩まで働き、


学校でも粗悪な環境の中、ボランティアの先生が授業を行っていました。


みんなシリアの人達です。




みんな親切で、暖かい人たちでした。




こんなに悲惨な状況下で、この人たちは何て美しい心を持っているのかと、感動させられたのです。







アーサルが今、緊急事態です。






8月は5日間、戦闘が勃発し、その間に多くの難民キャンプが焼き払われました。


拷問もありました。

先月は100人以上が殺されたと、ドクターが教えてくれました。



3日前には、6発のミサイルが着弾しました。

http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/09/lebanon-arsal-syrian-rebels-201492295223327962.html


ヒズボラの検問所に自爆攻撃も起きています。




スンニ派と敵対関係のヒズボラが政治的権力を持っており、レバノン軍もほぼ、その支配下にあります。




これは、レバノン軍によるシリア人への拷問の様子です。




video







働くことも規制され、貧困の真っ只中に置かれているということです。



8月、ほとんどのキャンプが燃やされた中で、毎日通ったキャンプは、燃やされていないという情報はもらいましたが、キャンプのある地域へは立ち入りができなくなっています。





キャンプの子供たち


ドクターモスタファ

ボランティアの女の子たち


一緒にテントを建てた仲間たち


マホムード




現地の人達とやりとりしておりますが、いよいよ切羽詰まった状況が伺い知れます。








これは本当の話です。


レバノン軍を支援して、テロ対策を強化することで、アーサルに住む難民の皆さんは救われません。

http://japanese.cri.cn/881/2014/08/27/201s225703.htm


「軍を支援する」なんていう選択は、ありえないのです。




確かにシリア難民の中に自由シリア軍の兵士もいます。


打たれたばかりで、治療も受けられないままテントで横たわっている青年にも会いました。


だけど、レバノンで戦闘をする意思なんてない。




レバノン軍がシリア難民を責め上げれば、仕返しのようなことも起きる。





レバノンが紛争地化すれば、100万人を超えるシリア難民に未来はないんです。


これまで届いていたところにも支援は届かなくなる。


ヒズボラを相手にすれば、中東情勢のさらなる泥沼化は避けれれない。









燃やされたキャンプ




人権団体、国際NGO、メディアの方々、本当に伝えないといけないのは、誰も伝えてくれない、アーサルで起きている紛争、貧困、人権侵害じゃありませんか。





国連高等弁務官事務所(UNHCR)にも電話してみたんです。



どの程度、情報を把握しているのかも、教えてもらえず、「寄付」という選択肢を紹介されました。





UNHCRのロゴが入ったテントは見たけど、アーサルでは誰も活動していないじゃありませんか。


そもそも、アーサルにいるシリア難民の人達は、難民登録されていない人達も多くいるのです。


ヒズボラの検問所をどうやって抜けていって、難民登録するんですか。











薬、服、食糧、子供用のミルク、お金。

緊急で、必要だということです。


助けてくれ、と言われたら、やるしかありません。



だけども私にできることの選択肢はあまりありません。



薬、服、食糧、子ども用のミルク、お金を、少しでも多く現地に届けたいと思います。






様子を見て、来年の2月か3月ごろにレバノンへ行こうと思います。







自分で50万円くらい貯めておこうと思っていますが、話を聞いた感じだと足りなさそうなので、募金をお願いするかもしれません。

服を送ってくれる人も大歓迎です。
アーサルは本当に寒くて雪が降りますので、暖かい冬服は有難いです。



必要な薬はドクターに聞いてみます。









誰か一緒にやりたい人はいませんか。

力を貸してください。

正直なところ、何をどうすればいいのかもよく分かっていません。




でも、何もしないなんてできない。

同じような人がいれば嬉しいです。








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2014年9月14日日曜日

ギャングの住むコロンビアの山奥は今!?

ハイチの避難民キャンプで1ヶ月間活動し、真っ黒に日焼けした姿で、ボランティア活動2ヶ国目となるコロンビアへと向かいました。

2013年7月のことでした。





『1ヶ月単位で国を移動し、それぞれの国の貧困問題の特徴や現地での取り組みを探り、どうにかして現地の支援団体へと潜り込んでボランティアをしながら、それぞれの場所で何か自分の足跡が残るようなプロジェクトを考えて実行する』


そんなコンセプトを考えて旅をスタートしたわけであります。



全てを実行するには1ヶ月はとても短いことは最初から分かっていたので、少なくとも入国前までには受け入れ先の団体を決めて、マトを絞った調査活動をしなきゃいけない。

バックパッカーのようなことをする度胸はないので、活動先に近い滞在場所を決めておかなきゃいけない。

移動の回数を減らして、1人にならないように案内してくれる人を見つけておかなければいけない。



と、いろいろ頭の中では考えていましたが、

2ヶ国目のコロンビア編から既に、入国前に決めておきたいことのほとんどは決まっていない状態でのスタートになりました。



実は旅をスタートする前に、コロンビアの団体と連絡を取り、スカイプで面談をして、話を進めていましたが、いつからか全く連絡が取れなくなったのです。



2ヶ国目にして「受け入れ先が決まらず断念」の可能性が出てきていました。




幸いコロンビアには友達がいたので、空港まで迎えに来てもらい、しばらく家に泊めてもらっていました。


しばらくは首都ボゴタにあるその友達の家で過ごしながら、コロンビアの貧困事情を調べて、いくつかの団体やプロジェクト関係者とのコンタクトを試みたわけであります。




今でこそ、これまでの活動実績を話して団体に潜り込むことをあまり難しいと思わなくなりましたが、当時は何の実績もないし、自分でも何ができるのかなんてはっきり分からず、自信もないので、全然決まりませんでした。




「何をすればいいんだろう」




とりあえず調べているうちに、いくつかのことが分かってきました。

コロンビアは危ない国と言われているけど、それは麻薬組織メデジンカルテルが巨大な支配力を及ぼしていたころの話で、今はFARCなどの準軍事組織的な集団がある程度の脅威を及ぼしているものの、警察もそこそこ機能しているし、治安は改善傾向にある。

それでもスリやひったくり、強盗、恐喝はよく起きる。


政府は教育の機会拡大に向けて努力しており、一定の成果を上げてきているが、貧困層においては十分な教育を受けることのできる環境が整っていない。

児童労働、売春、ドラッグがいつでも手の届く距離にあり、特にスラム街はその温床となりやすい。



教育の機会の乏しさとギャング化は関係がありそうだということ。


コロンビアが貧困から脱却する勢いは特にこの数年著しいこと。


それでも尚、格差は大きく、スラム街に住む貧困層は開発から取り残されがちであること。








メデジンカルテルが暗躍していたころのコロンビアの治安の悪さは世界最悪レベルだったようです。


実際に、ボゴタで泊めてくれた友達のお父さんはFARCに4年間誘拐、拉致されていたそうです。


また、メデジンでも昔は当たり前のように路上に死体が転がっていたといいます。



コロンビアのストリートチルドレン②




そんな時代に、脅威から逃れるように、あるいはそこでしか生きることができず、スラム街へ移り住む。

過酷な環境で育った子供たちが、大人になり、そこで子供を産み、親になる。



スラム街で生まれた子供は、教育の機会に恵まれず、複雑な家庭の事情の中で育ち、決して貧困層から抜け出すことはない。

そんなコロンビアの貧困事情が存在するように思えたのです。






入国して1週間が経ったころには、活動先、宿泊先が決まったので、ボゴタからメデジンへと飛び立ちました。




メデジン


受け入れてくれたのは『Angeles de Medellin』というスラム街のコミュニティーセンター。アメリカ人のマルコスが8年前から支援活動を続け、昨年末ごろ、正式にコロンビアの法人格を取得しました。


毎日10時ごろ、ボランティアのみんなでアセベド駅に集合する。

そこからみんなでケーブルカーに乗って、スラム街上空を進み、3駅ほど登ったサントドミンゴ駅で降りる。

すぐ近くにスペイン図書館がある。









『ケーブルカーを取り入れたメトロシステム』
『斬新なデザインの図書館』
『スラム街と調和した街づくり』


これが世界的に評価され、メデジンは2013年、世界で最も革新的な都市に選ばれた。


これは凄いことです。十数年前、世界で最も危険な都市と言われたメデジンが、世界で最も革新的な都市になったのです。


これは地元の人達も大変誇りに思っています。









スペイン図書館近くのバス停から決まった番号のバスに乗り、20分ほどスラム街を奥に進んだところにAngeles de Medellinはあります。









バスの中からは撮影禁止です。

何度かギャングとトラブルになっているそうです。







施設の横に警察の駐留所があるおかげで、安全そうではありますが、1人で周囲を歩き回ることも禁止だと言われました。







ボランティアスタッフの仕事は机を並べたり、掃除をしたりと様々。

子ども達が来たら、一緒にゲームをしたり、パソコンの使い方を教えたり、宿題をやったりします。


特に力を入れているのは毎日の英語クラスです。






















子ども達はすごく懐っこくて、遊びも勉強も熱心でした。


支援活動っていうのはもっと過酷なものだと思い込んでいたけど、Angeles de Medellinでのボランティア活動は本当に楽しいものでした。





最初の話に戻りますが、ボランティア活動をするだけでなく、何かを残すという強引なコンセプトを達成しなくてはなりませんでした。



あのころはまだ、プロジェクトを実行するための手段についてのアイディアが乏しかったので、『クラウドファンディング』に持ち込める案はないかとばかり考えていました。


そんなときに、One Laptop Per Child というNPOが、子供の教育用にタブレットPCを開発し、発売する予定だというニュースが入ってきましたので、これをAngeles de Medellinの子供たちへ届けるプロジェクトを立てさせていただきました。




新規性×イノベーション×社会問題


教育の機会という面ではやはり恵まれていないスラム街の子供たちに、最新の教育用タブレットを使ってもらうことで、一般の学校教育では得ることのない知識を得ることができれば、それが将来きっと有利に働くだろうと考えました。

追いつく教育よりも、無いものを育てた方が、プラスマイナスの評価よりも出っ張ったもので勝負できるんだ、という熱い想いも湧いてきました。


そしてネット環境が整えば、スラム街にいながらでも、「学ぶ」環境は高いものが得られるんじゃないかって。




運用の仕方についてもマルコスと話し合いました。



実はAngeles de Medellinのある地域では、教育よりも求められていることがたくさんあるのです。

食べ物がない。

服がない。

親がいなくなった。

虐待される。

家が潰れた。

病気だけど病院にいけない。




地域の人はみんなマルコスを頼って施設を訪ねてくるのです。






マルコスは壊れた家の屋根を直し、病気の子供を病院へ連れていき、食糧を買って与え、、、

地域にとってかけがえのない存在なのです。




それでもマルコスは教育にもっと力を入れていきたいんだと言います。


お金は必要。だけど、教育より優先しなければいけないことが多い。


そんな状況です。







タブレットプロジェクトでもう1つ良いことがあります。


ネット環境が整備されることで、情報発信の継続性、頻度が上がれば、もっと世界中のいろいろな人が見てくれて、ボランティアに来る人の数も増えて、支援も多く集まるようになると、考えました。



実際にAngeles de Medellinは世界中からのボランティアや支援者によって支えられているのです。




そして支援が多く集まれば、今、目の前で必要な食糧や毛布を買うために使うことのできるお金が増えるのです。







さて、まだオープン前のクラウドファンディング「Makuake」にコンタクトをとってみたのがコロンビアに滞在中の2013年7月。


皆さんのおかげで資金が集まり、プロジェクトを実行することができました。






数か月前、Angeles de Medellinは新しく施設をオープンしました。

教育にもっともっと力を注ぎたいと意気込んでいます。




























インターネットが整備されたおかげでAngeles de Medellinの情報発信のペースはかなり上がりました。



世界中からやって来るたくさんのボランティアスタッフと、一緒に勉強する子ども達や、英語クラスの生徒さんたちの写真などを見て、いつも癒されております。





ちなみに、クラウドファンディングで残ったお金は全て寄付することにしておりましたが、


御礼の商品の受け取りを辞退してくれた人などの協力もあって、全部で10万円以上を現金として寄付することができました。


今後のインターネットの運用コストの他に、地域の支援活動のために使ってもらいます。







まだタブレットPCもネット環境も、その運用は始まったばかり。



今後も見守っていきたいと思います。



Angeles de Medellinでのボランティア活動に興味のある方はお気軽にご連絡ください。


















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