2016年10月12日水曜日

2016年エチオピアの旅 #6

前回は、ソロモン王朝の権威と、長い外交の歴史から、現在のエチオピアが国際的な地位を確立した可能性について考えました。
それゆえに、エチオピアはアフリカで唯一、植民地支配を逃れ、国際連合の原加盟国となり、多くの援助を受けているのではないだろうかと考えていきました。

http://travelfortellingpoverty.blogspot.jp/2016/09/2016-5.html




前回はラリベラの教会群(世界遺産)に行ったところまでを書きました。
教会の中で、もう1つ印象に残っていることがありました。
神父の前で、ひざまづいてお祈りを捧げる動きを、見よう見まねでやったのですが、たいへん不自然な流れで、神父が足元のさい銭箱を指して、言葉に出さないまでも、ここに金を入れろ的な合図を出されました。お金はヤレムに持たせていたので、納めることができなかったのですが、違和感がありすぎでした。

違和感と言えば、自分の信仰と全く関係ない教会にやってくる外国人の方が「それ」なのかもしれません。

僕が感じた方の違和感は、神父の本来の作法ではないだろう、という意味ですが、そのように変わってしまったのは、きっと外国人が観光のためにやってくるからであって、資本主義の文脈が、「本来の型」をねじ曲げてしまったからなのだろうと思います。文化や歴史の奥行を見渡す力がないと、どうしても表層だけを切り取って、貧しさと結びつけてしまいがちなのだろうと思うところです。

果たして、文化や歴史をねじ曲げてまで、『観光資源』などと言って盛り上がることは、地元住民に豊かさをもたらすのだろうか。
バスターミナルの前の宿屋でヤレムと話していると、6歳くらいの子どもがやってきて、「何か食べ物をくれ」と言う。残していたインジェラをあげると、目の前でたいらげた。よほどお腹がすいていたんだろうと感じさせるような食べ方でした。
ラリベラに観光客が溢れかえれば、いつかこの子が空腹に悩まなくていい日がやってくるのだろうか。もしその日がやってきたとして、文化や歴史は形を変えずに残っていられるだろうか。そんなことを考えた1日でした。


その夜はエチオピアのダンスや音楽を楽しみました。
ドラムの音や、女の人の「ララララララララーー♪」って歌声をサンプリングしてきたので、制作中の曲のどこかに挿したいと思います。



次の日、早朝のバスに乗り、ラリベラから旧都ゴンダールへ向かいました。
夜から腹を壊していました。それから、体に小さい虫刺されの痕がいくつかあったのですが、まだあまり気にしていませんでした。

移動中。空が広いし近い


ゴンダールでは城の周りを散歩して、カフェでのんびり過ごしました。
体調が悪かったので、その後は、ずっとホテルの窓から下の路上を観察していました。



城。写真下手ですんません。








1日しかいなかったので、あまり詳しくは書けませんが、
城下町という感じですが、新しいカフェやレストランが並んでいる通りもあって、アジスアババよりは落ち着いた雰囲気でした。カフェでのんびりするには最高でした。
中心部はそれなりに人が多い印象です。32万人(2015)が住んでいるようです。

今回の旅は、都市巡りも目的の1つでした。
なぜなら、エチオピアは人口爆発が起きているけれど、人口のほとんどは首都以外に住んでいるという説明をずっと疑っていたからです。

ゴンダールの後は、アムハラ州の州都バハルダに行きました。バハルダの話と、エチオピアの人口についてはまた次回書きたいと思います。




ところで、最近はエチオピアの抗議デモがメディアで頻繁に取り上げられるようになりました。
オロモ民族になぜか焦点が当てられているようですが、アムハラ民族が多く住むアムハラ州のゴンダールやバハルダでも大きな抗議でもが起きています。



ゴンダール




現政権を批判する抗議デモは国内各地に広がっています。

さらに、国内だけではなく、海外にも広がっています。

カナダでも、イギリスでも、ドイツでも、アメリカでも。






1990年代に、メンギスツ社会主義政権から形としては民主主義の国に変わったエチオピアですが、そのとき、反政府勢力側を支援していたのがアメリカです。
そして、EPRDFが政権を握ることになります。そして、少数派でありながら、ディグレ民族がエチオピアの政治の中心を担っていくようになります。

エチオピアへの援助が他の国よりも多すぎることに注目しているのですが、一番多く援助を行っているのも、アメリカです。社会主義時代の終焉が、エチオピアの開発や援助を語る上では重要なターニングポイントなのです。

しかしながら、昨今、国民の不安が高まっている背景は、人権問題というよりは、貧困だろうとみています。
富が平等に分配されない仕組みや、特定の民族に偏った政策が、貧困の原因なのでしょうか。
それは確かにあると思うのですが、エチオピア政府は、国民が貧困に陥るとどういうことが起きるか、おそらく他のどの国よりも知っていると思います。

メンギスツ政権の崩壊も、ハイレセラシェj時代の終焉も、背景には、貧困がありました。
(岡倉登志『エチオピアの歴史』より)


だから文化や歴史を切り売りしてでも、たくさんの援助を受け取って、経済成長を好ましいものと考える力が、政府の中では働いているのだろうと考えるところです。


今起きている抗議デモは、経済成長率の高さ(10%程度)が、国民の生活の実態へ反映されていないことを示しているのではないでしょうか。



だから、俺は経済成長だの、開発だの、偉そうなことを言っている人達に中指を立てて、今は大好きなエチオピアを精一杯の愛情とリスペクトを込めてディスるぜ!




続きはまた書きます。




2016年9月18日日曜日

2016年エチオピアの旅 #5

ウォルディアからラリベラへ向かいました。

乗り合わせのハイエースと言ったらアフリカや中南米へ行ったことのある人なら分かるかと思います。
途中に休憩で止まったときにパートナーのヤレムがサトウキビを大量に買ってきました。
そして乗り合わせた乗客みんなに配っていました。余った分は窓の外から手を伸ばしてきた子どもにあげていました。
アノー、ボクノオカネナンダケド。
と思ったけれど、そこで腹を立ててしまっては、所有することやお金という概念にどのような違いがあるのかを浮かび上がらせることもできないので、「ありがとう」と言って、サトウキビをかじっては窓の外へ皮を吐き捨てる運動を繰り返しました。

後ろに座っていた乗客3人はエチオピア人だけれどアメリカに留学しているようで、今は一時帰国して国内観光を楽しんでいるということでした。

1人は国際政治学を勉強しているということだったので、僕がずっと疑問に思っているエチオピアと国際援助について聞いてみました。
凄まじい腐敗があるという認識は、彼も同じように考えていたので、ラリベラに着くまで話はずっと盛り上がっていました。
それ以外にもエチオピア美女の話をしたり、アムハラ語で卑猥な言葉や表現を教えられて、ハイエースの壁や天井に何度も頭をぶつけるほどの揺れも気にならないほど楽しい時間でした。

同じハイエースに乗っていたスバロという青年が、ラリベラの実家に泊まらせてくれることになっていたのですが、離れた距離に座っていたスバロは、ラリベラに着くと消えていました。

外は真っ暗で、ヤレムと2人で困ったあと、近くにあった少し高いホテルに泊まりました。
久しぶりに温水のシャワーを浴びて、テラスで夜風を浴びながら優雅に過ごしました。


翌日、ラリベラの岩窟教会群(世界遺産)へ行ってまいりました。









天井に六芒星?





ミイラ



遺跡や古代の建造物が大好きなので、トキメキを抑えきれませんでした。
教会の天井に六芒星を見つけたときは鼻血が出そうになりました。

エチオピアの歴史は、今勉強中なのですが、知れば知るほど、エチオピアの魅力に引き込まれます。失われたアークの伝説(アクスムにあるらしい)、失われた10氏族のうちのダン族
・・・など、古代イスラエルとの繋がりが、この国の歴史の中に埋もれている可能性を考えると、世界の歴史を紐解いていくための重要な発見が、今後エチオピアであるかもしれません。

エチオピアは古代イスラエルのソロモン王とシェバの女王の間に生まれたメネリク1世が統治していたのが紀元前10世紀ごろだそうです。
そして、歴代の王はメネリク1世の直系の血族(つまりソロモン王、ダビデ王の子孫)ということになっており、1975年に失職し暗殺された最後の皇帝ハイレ・セラシェの時代まで、3000年の歴史がある皇室ということになります。日本の皇室は現存する中では最も歴史が長い皇室なのですが、ハイレ・セラシェの時代にエチオピア皇室の歴史が途絶えてから、最も長い皇室という立場になったのですね。

そもそもソロモン王の血筋が1975年まで続いていたと考えるだけでも歴史的なロマンに満ちています。
ただ、歴史の記録がはっきりとしない部分も多く、本当にそうなのかは明らかではないそうです。


ちなみに最近いろいろと調べていたところ、最後の皇帝ハイレ・セラシェの子族は、まだ生きているそうです。1992年に生まれた双子で、ハイレ・セラシェのひ孫ということになります。
現在はアメリカのワシントンに住んでいるようです。


うんちくはこの辺でやめておきます。




エチオピアの歴史を見ていくと、この国がアフリカの孤立した内陸国という認識は正しくないということが分かりました。外交の歴史は非常に長いのです。
現在のエチオピアの状況だけを切り取ってしまうと、飢餓や貧困の問題を抱えた「弱者」という姿に置き換えられがちですが、エチオピアは偉大で強大な国だったのです。

ソロモン王朝の権威と、外交の歴史の長さは、今のエチオピアが他の国と比べて多くの国際援助を受け取っていることや、そもそもなぜエチオピアだけが植民地支配を逃れたのかという問題と決して無関係ではないのではないでしょうか。


真実を読み解くためには、表面に現れてくる現象以外に着目する視点が大切なんだなぁ~と思うところです。
特に、今回は歴史的な文脈から多くの気付きを得ることになりました。



ラリベラをはじめ、エチオピアには、ありえない場所にありえない作り方で建てられている凄い教会がいくつもあって、ロープを登っていくデブレダーモ(今回は行けなかったけど)や、最近発見されたばかりの、難所に建てられた教会もあるようです。いつか行ってみたいです。

独自に発展してきたキリスト教の姿や歴史も着目すべき点は多いのですが、なんと言ってもエチオピア人の信仰心の篤さは驚きです。

ラリベラの教会に入るときも、靴を脱いで、ひざまづいて、十字を切って、ひたいを地面につけて、壁にキスをするという動作を繰り返します。
例えば、車で教会の横を通り過ぎるときも、乗客は十字を切って祈っています。


歴史もそう、信仰心もそう、文化もそう・・・経済成長重視の開発や援助が、ないがしろにしてきたところなのではないでしょうか。


最後に1つだけうんちくをたれて終わりにします。
2015年にアメリカのPEW研究所が行った調査によると、「信仰が生活(人生)にとって重要である」と答えた人の割合は、

エチオピアが98%で第一位となっております。
日本は11%で中国(3%)の次に低いようです。

信仰心を持っていないことや重要性を感じていないことが悪いとかいう話ではなくて、異文化理解の1つの大きな壁であると思います。










続きはまた書きます。

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2016年8月16日火曜日

2016年エチオピアの旅 #4

Dessieでムスリムの爺さんと別れた後、Hayk(ハイク)へ向かいました。

規模で言えば町になるのだろうと思います。
大きなマーケットがありました。そこでは、野菜や家畜やテフの粉などが売られていました。
少女たちがテフの粉をサラサラと袋から袋へ移していて、近くで見せてもらおうとすると恥ずかしそうにしていました。恥じらうという意味ではなく、照れているという様子で、外国人の僕が興味を持ったことに対して、嬉しそうにしていました。

マーケットには、町の住民だけでなく、部族の人の姿もありました。
暗い青ベースの服を着て、頭部の中心から前にかけて細かく髪が編んであり、後ろの方の髪は太めの束にして左右に爆発させているような特徴的な髪型の女性たち。
背中に薪を担いで、マーケットに売りに出てきていました。

マーケットの様子はこんな感じです。





その後、ハイクの近くの湖に行きました。
湖のそばに教会があります。
教会の敷地に入るのに、外国人はお金を払わないといけないことになっていました。
エチオピアではいろんな場所で、外国人料金が設定されています。

教会の敷地内を進んでいくと、何やら子ども達の歌声が聞こえてきたので、行ってみました。
子ども達が青空の下で、アムハラ語で書かれた聖書を真面目に読んでいました。







湖のほとりでサトウキビをかじりながら、のんびりと風の音を聞いて、流れている雲や、草を食べる動物たちの動きを、見るともなく眺める時間に浸りました。






そのあと、Hayk(ハイク)からWoldia(ウォルディア)へ移動し、ラリベラ行きのバスを待ちました。


バスターミナルは行先を叫ぶ人々や、案内人や旅人や商売人がざわめいていて、危ない目線や、稼ぐことに必死の子どもの姿。
腰の曲がった婆さんが杖をつき、重い荷物を抱えて一歩一歩。
昔はそんな婆さんの姿を地元でも見かけたことがあったけれど、今ではすっかり見なくなったように思う。


ウォルディアも規模で言えば町でしょうか。
バスの乗り換えで立ち寄る人は多いようです。




ウォルディアでバスを待っている間、同じようにラリベラへ向かう人達と交流し、よく使うアムハラ語の表現や、単語を、教えてもらっていました。

その間にヤレム(相棒)がスバロという青年と仲良くなり、ラリベラに着いたら実家に泊めてくれるという話をまとめてくれていました。
結局、スバロの家に泊まることは無かったのですが、それはまた書きます。



小学生が家に帰る時間。
地域によって制服の色は違うらしい。緑の地域もあれば、紫の地域もあった。赤の地域もあった。
5冊か6冊くらいの教科書を両手で抱え、友達と帰る通学路。
裸の教科書を持ち歩く姿は、ここへ来るまでも何度かバスの中から見た。

教科書をかばんや袋に入れて持ち運ぶのが当たり前の国で育った自分にとっては違和感のある光景だった。
袋に入れて持ち運んでくれていれば、モヤモヤしないこっち側の気持ち。
違いを貧しさと呼び、求められる変化の渦の中で、個性やアイデンティティを失っていく。
そのことは、今の自分にとっては恐ろしいこととして捉える気持ちも内側に育っていたもので、違いを違いのままに、何の形容詞も付けずに飲み込みたいと思った。

そのまま帰宅する制服姿の小学生を目で追い掛けていると、その小学生と同じくらいの年の少女が、水汲み用のポリタンクを抱えて向こう側から歩いてくる。学校には行ってないみたいだ。

ウォルディアの路上。
車道を走る車の音が何度も耳元を通り過ぎる。
その片隅で、家路につく小学生と、ポリタンクを抱えた少女がすれ違う瞬間の数十秒を、緊張しながら見ていた。




続きはまた書きます。




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2016年6月19日日曜日

2016年エチオピアの旅#3

3月3日、ヤレムと2人、早朝のバスでDessieに向かいました。


バスで近くに座っていた爺さんとヤレムが仲良くなり、爺さんが家に泊めてくれることになりました。


Dessieには昼過ぎに着いて、昼飯を食いました。

爺さんはムスリムなので、違う店で食事を済ませた後、合流しました。


Dessieはそこそこ栄えていて大きい街でした。
古い家が多く、ところどころスラム化しているところがありました。


乗り合わせのタクシー(現地のバスみたいなもの)で爺さんの家まで行きました。
途中で、あれ、ビデオカメラがないぞって思って、爺さんの家で調べたけど、やっぱり無くなっていました。

バスの中からこっそり、外の景色を撮ってただけなんだけどなー。
2年前のエチオピアでパソコンもハードディスクもカメラもいろいろ取られてなくなったときに、
本体だけ残ったビデオカメラだったんだけどなー。
特殊なケーブルがなくなって、その後も使えなかったんですけど、日本に帰って、バッテリーとケーブルを買って、使えるように準備していったのになー。

居酒屋と引っ越しのバイトで貯めて、年末のセールで買った思い入れのあるやつだったんだけどなー。

まだ1日目なんだけどなー。

エチオピアに嫌われている・・・ということを思い出しました。






爺さんの家は、かなり古くてボロイんですけど、中は綺麗にしてありました。
爺さんは素朴で大人しい人でした。

ヤレムはキリスト教徒だけど、何の抵抗もなく受け入れてくれました。
エチオピアでは、ムスリムとキリスト教徒の人はうまくやっています。
異教徒どうしで結婚することも珍しくないようです。


娘さんがいて、さっそく出されたインジェラを頂きました。
家に上がるとインジェラをふるまっていただけるのは、もう儀式のようなもので、どこの家でも同じようにインジェラが出てきます。

娘さんは、2年前までサウジの王室で働いていたそうです。


インジェラを食べた後は、コーヒーを飲んで、葉っぱを噛んで過ごしました。



Dessieはかつて干ばつにみまわれ、飢饉に苦しんだという歴史があります。
今でも水にあまり恵まれている地域ではないようです。

ということを事前に聞いていたので、Dessieに来る途中のバスから、川の乾いた痕がやたらと視界に入ってきていました。


爺さんに聞いてみました。

「エチオピアで人類が発祥して、いろんな地域に生活圏を広げていきましたが、どうして水資源の乏しいDessieに人々は移り住んだのだと思いますか?」

爺さんは答えました。

「人類は適応したのじゃよ。ラクダの水やミルクによって。」

ということでした。



適応・・・考えさせられますね。
人類は環境に「適応」することができるはずなんですけど、
○○がない、●●がないと、外から何かを持ってきて解決する方法に頼りすぎているのかもしれません。

アラスカのイヌイットも、カラハリのブッシュマンも、厳しい環境の中で、知恵を使い、自らを進化させることで適応して生きていると見ることもできます。

人間が自然の一部だという見方を大切にすると、破壊係数が「1」の適応が理想なのだろうと思います。





続きはまた書きます。






【お知らせ】
2月26日(日)13:30~17:30
南青山(東京)で登壇させていただきます。
テーマは「貧しさ」です。
自分の見た「貧困」と呼ばれる地域の話や、貧しさが生んだ悲劇を例に
「いい話」ではなく、等身大の話をします。

業種、年齢関係なく、いろいろな方が来られます。
交流の時間もあるので、楽しい会になるかと思います。
(ブログ見てきましたと、言ってもらえると喜びます)

参加される方は参加ボタンを押してください▽
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2016年6月12日日曜日

2016年エチオピアの旅 #2

書こう書こうと思いながら、全然書いていませんでした。

2016年3月、ドーハ経由でエチオピアへ。
日本を出発したのは2月29日で、エチオピアに着いたのは3月1日の深夜1時過ぎでした。

2年前に知り合ったヤレムが空港に迎えに来てくれてるはずだったのですが、すぐに会えず、深夜の4時くらいに合流できました。

別れ際はいつも「また来るから」と言うのですが、本当にまた来れるかどうかは自分でも分からないし、嘘を言うつもりはないけど、嘘になってしまうかもしれないし、、、
実際に「また来るから」と言って、まだ会いに行けてない人はたくさんいて、思い出せば会いたくなるけど、時間が経てば、会いたかった気持ちが薄れて行ったり、
目の前の問題に振り回されては、「いつかまた会いに来る」が、「いつかまた会いたい」になって、「またどっかで会えたらいいな」と、記憶と一緒にぼんやりしたものに変わっていってしまう。
それは人間だから、仕方のないことなのですが。

また会えてよかったです。
エチオピアで1ヶ月、一緒に行動したパートナーです。
よくケンカもしましたが、1つのベッドに2人で寝て、朝から晩まで一緒に行動をしていました。




到着して次の日、早速旅の準備を始めました。


電車走ってるし(2年前はなかった)





服屋の裏のブラックマーケットでドルをブルに代えて
マルカト(大きいマーケットみたいなところ)でヤレムの分の寝袋を買って、
夕方から、ヤレムの親せきの家に招待され、インジェラ&コーヒーセレモニーを楽しみました。

インジェラは2年前は全然食べれなくて、不味かった思い出はプレッシャーに変わっていました。
1ヶ月・・・インジェラばかり食べてやっていけるだろうかと。
早速、その日に食べたインジェラは、2年前と同じで、「ヤバい、食えない・・・」と思ったのですが、
気持ちをコントロールしながら食べました。

食べるそばから、どんどんインジェラを皿にのせてくるので、「お腹いっぱいです」 と伝えるまで終わりません。
アムハラ語では「バッカ!」と言います。
「バッカ、バッカ」・・・もういい、もういい・・みたいなニュアンスで使っていました。

こうやって親せきで集まって、ワイワイ盛り上がりながら、のんびり話をする。
日本でもまだ残っている光景ですが、
数日前までは、4畳半の部屋で、買ってきた弁当を1人で食べて、そういえば「いただきます」とか「ごちそうさま」とか、いつの間にか言わなくなってたのを全然気が付きもしなかったなぁと、この時思い出しました。


次の日、適当に街を歩いた後、ナショナルミュージアムに行ってきました。
目的はルーシー。
最も古い人類の骨です。





人類発祥の地と言われているエチオピア。
私たち人類は何者で、人類はどこから来て、どこへ向かうのか・・・そんな人間科学の問いと向き合っているもんで、
一目見れてよかったです。

そして、アジスアババからDessie行きのバスのチケットを2人分買い、翌日から、地方めぐりの旅に出発しました。




続きはまた書きます。




【お知らせ】
2月26日(日)13:30~17:30
南青山(東京)で登壇させていただきます。
テーマは「貧しさ」です。
自分の見た「貧困」と呼ばれる地域の話や、貧しさが生んだ悲劇を例に
「いい話」ではなく、等身大の話をします。

業種、年齢関係なく、いろいろな方が来られます。
交流の時間もあるので、楽しい会になるかと思います。

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2016年4月30日土曜日

2016年エチオピアの旅 #1

エチオピアへ入国したのは、実は3回目のことです。





1回目は、ブラジルから南アフリカへ移動したときのことです。2013年の9月7日のことでした。


リオデジャネイロ → サンパウロ → トーゴ → エチオピア → ヨハネスブルグ 

という移動だったと思います。


あの日のことはよく覚えています。

2か月近くお世話になったビクターの家で、荷物をまとめ終わり、出発しようとしたころ、
ビクターのお父さんが、次のオリンピックは東京に決まったと教えてくれました。

リオデジャネイロから南アフリカへ行くための航空券は$690くらいでした。エチオピア航空を利用したのですが、トランジットでエチオピアへ寄ったときに、市内のホテルに移送されました。ホテルは無料でした。

ホテルの部屋でテレビを付けると、2020年のオリンピックが東京に決まったということを言っていました。そして、安倍総理大臣がone of the safest cities in the world・・・sir may have concerns about Fukushima・・・the situation is under control・・・

 という嘘をついていました。

https://www.youtube.com/watch?v=zf90ImlFDuU

先ほど動画を見直してみたら、situation is under control を日本語の通訳は「事態は収拾に向かっている」と言っていて、嫌な気持ちになりました。


トランジットの間の半日ほどですが、それが1回目のエチオピア入国でした。



2回目は、2013年12月31日に入国し、1ヶ月滞在しました。
思い通りにいかないことばかりで、苦しい想いをしました。
パソコンやハードディスクを失くしたのもこのときです。
携帯は2回失くしました。


逆に、1つのコミュニティを見るだけでなく、それより大きな外側の世界との繋がりを考えることの大切さに意識が向かい始めたのもこのころです。

1つの小さな地域とその国の関係、
1つの小さな地域と世界の関係、ということです。



そして2016年3月、これが3回目の入国になります。

今回は特別なミッションを設定せずに行きました。
ただ、「文化」というキーワードが完全に中心にありました。


自分の気持ちが違うだけで、こんなに目に映るものが違うものかと、感じる場面がたくさんありました。


例えば、村で寝泊まりしていたときに、一緒に水を汲みに行っていました。

以前であれば、水を手に入れるのはこんなに大変なのかと、考えたかもしれません。

しかし、水汲み場で歌を歌ったり、近所の人達と情報交換をしている様子からは、ネガティブな印象を受けることはありません。

文化どうしを比較し、優劣で結論付けては、見落としてしまうものがあります。




続きはまた、時間があるときに書いていきたいと思います。




【お知らせ】

2016年5月15日(日)12:30~16:30

TKP渋谷カンファレンスセンターで第二回ソーシャルドリームコンテストが開催されます。

いろんな夢を持って活動する7人の若者が登壇し、オーディエンスの投票で優勝者が決まります。

第1回大会で優勝した僕は、オープニングで歌います。

自由に参加者同士で話す時間もあるので、現地で声をかけてもらえると喜びます。


イベントページ(参加する人は参加ボタンを押してね)
https://www.facebook.com/events/1733353336879286/





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2016年4月7日木曜日

エチオピアから帰国しました

超久しぶりにブログを更新します。
(これからコツコツ更新していこうと思います)

2月末まで福島で働いていたのですが、退職しました。

そのあとすぐに3月1日から31日までエチオピアに行ってきました。






村の民家に滞在させてもらい、また修行してきました。

子ども達と遊んだり、水を汲みに行ったり、畑仕事をやらせてもらったり、

全身にアレルギーが出たり、犬に噛まれたり、クレジットカードがATMに飲まれたり、

2年前に会った人達と再開したり、いろいろありました。


また、貧困や豊かさについていろいろと考えを巡らせることができました。


貧しさとは何か、豊かさとは何かを探しながら、死ぬまで冒険しようと思います。






エチオピアに言った理由や、今後の活動について話しています。



動画でも、話していますが、これからしばらく関東にいます。
音楽もやります。
日本全国どこでも行くつもりです。


とりあえず目の前の予定として、

5月15日(日)
「第2回ソーシャルドリームコンテスト」のオープニングで1曲歌います。


何にも無いところから出発して、今も夢を追いかけてるバカヤロウですが、
そのバイブスや、ドリームについて、1発ぶちかまそうと思います。


今年のソーシャルドリームコンテストはTKP渋谷カンファレンスセンターで200人くらい入れるみたいです。

7人のドリーマーがそれぞれの夢を語って、参加者の投票で優勝者が決まります。


去年の第1回は僕が優勝してます。

そんなオンリーワンでナンバーワンの僕は、今は住所不定無職ですが、

当日は1発歌わせてもらった後に、特別審査員をやらせてもらいます。

まだまだ人を評価するような立場に成り下がるつもりはありませんが、参加者の1人として楽しみたいと思ってます。

すっごいおもしろい人達が話をするので、しかも日曜日なので、

参加できる人は早めに参加ボタンを押してください。


https://www.facebook.com/events/1733353336879286/





というわけで、これからコツコツブログを更新していきます。

しばらくはエチオピアと開発についてのことを本格的に調査しながら、3月の旅のことも書いていきます。



あ、東京らへんにいる人、気軽に誘ってください。よろしくお願いします。








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