2016年8月16日火曜日

2016年エチオピアの旅 #4

Dessieでムスリムの爺さんと別れた後、Hayk(ハイク)へ向かいました。

規模で言えば町になるのだろうと思います。
大きなマーケットがありました。そこでは、野菜や家畜やテフの粉などが売られていました。
少女たちがテフの粉をサラサラと袋から袋へ移していて、近くで見せてもらおうとすると恥ずかしそうにしていました。恥じらうという意味ではなく、照れているという様子で、外国人の僕が興味を持ったことに対して、嬉しそうにしていました。

マーケットには、町の住民だけでなく、部族の人の姿もありました。
暗い青ベースの服を着て、頭部の中心から前にかけて細かく髪が編んであり、後ろの方の髪は太めの束にして左右に爆発させているような特徴的な髪型の女性たち。
背中に薪を担いで、マーケットに売りに出てきていました。

マーケットの様子はこんな感じです。





その後、ハイクの近くの湖に行きました。
湖のそばに教会があります。
教会の敷地に入るのに、外国人はお金を払わないといけないことになっていました。
エチオピアではいろんな場所で、外国人料金が設定されています。

教会の敷地内を進んでいくと、何やら子ども達の歌声が聞こえてきたので、行ってみました。
子ども達が青空の下で、アムハラ語で書かれた聖書を真面目に読んでいました。







湖のほとりでサトウキビをかじりながら、のんびりと風の音を聞いて、流れている雲や、草を食べる動物たちの動きを、見るともなく眺める時間に浸りました。






そのあと、Hayk(ハイク)からWoldia(ウォルディア)へ移動し、ラリベラ行きのバスを待ちました。


バスターミナルは行先を叫ぶ人々や、案内人や旅人や商売人がざわめいていて、危ない目線や、稼ぐことに必死の子どもの姿。
腰の曲がった婆さんが杖をつき、重い荷物を抱えて一歩一歩。
昔はそんな婆さんの姿を地元でも見かけたことがあったけれど、今ではすっかり見なくなったように思う。


ウォルディアも規模で言えば町でしょうか。
バスの乗り換えで立ち寄る人は多いようです。




ウォルディアでバスを待っている間、同じようにラリベラへ向かう人達と交流し、よく使うアムハラ語の表現や、単語を、教えてもらっていました。

その間にヤレム(相棒)がスバロという青年と仲良くなり、ラリベラに着いたら実家に泊めてくれるという話をまとめてくれていました。
結局、スバロの家に泊まることは無かったのですが、それはまた書きます。



小学生が家に帰る時間。
地域によって制服の色は違うらしい。緑の地域もあれば、紫の地域もあった。赤の地域もあった。
5冊か6冊くらいの教科書を両手で抱え、友達と帰る通学路。
裸の教科書を持ち歩く姿は、ここへ来るまでも何度かバスの中から見た。

教科書をかばんや袋に入れて持ち運ぶのが当たり前の国で育った自分にとっては違和感のある光景だった。
袋に入れて持ち運んでくれていれば、モヤモヤしないこっち側の気持ち。
違いを貧しさと呼び、求められる変化の渦の中で、個性やアイデンティティを失っていく。
そのことは、今の自分にとっては恐ろしいこととして捉える気持ちも内側に育っていたもので、違いを違いのままに、何の形容詞も付けずに飲み込みたいと思った。

そのまま帰宅する制服姿の小学生を目で追い掛けていると、その小学生と同じくらいの年の少女が、水汲み用のポリタンクを抱えて向こう側から歩いてくる。学校には行ってないみたいだ。

ウォルディアの路上。
車道を走る車の音が何度も耳元を通り過ぎる。
その片隅で、家路につく小学生と、ポリタンクを抱えた少女がすれ違う瞬間の数十秒を、緊張しながら見ていた。




続きはまた書きます。




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