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2016年10月12日水曜日

2016年エチオピアの旅 #6

前回は、ソロモン王朝の権威と、長い外交の歴史から、現在のエチオピアが国際的な地位を確立した可能性について考えました。
それゆえに、エチオピアはアフリカで唯一、植民地支配を逃れ、国際連合の原加盟国となり、多くの援助を受けているのではないだろうかと考えていきました。

http://travelfortellingpoverty.blogspot.jp/2016/09/2016-5.html




前回はラリベラの教会群(世界遺産)に行ったところまでを書きました。
教会の中で、もう1つ印象に残っていることがありました。
神父の前で、ひざまづいてお祈りを捧げる動きを、見よう見まねでやったのですが、たいへん不自然な流れで、神父が足元のさい銭箱を指して、言葉に出さないまでも、ここに金を入れろ的な合図を出されました。お金はヤレムに持たせていたので、納めることができなかったのですが、違和感がありすぎでした。

違和感と言えば、自分の信仰と全く関係ない教会にやってくる外国人の方が「それ」なのかもしれません。

僕が感じた方の違和感は、神父の本来の作法ではないだろう、という意味ですが、そのように変わってしまったのは、きっと外国人が観光のためにやってくるからであって、資本主義の文脈が、「本来の型」をねじ曲げてしまったからなのだろうと思います。文化や歴史の奥行を見渡す力がないと、どうしても表層だけを切り取って、貧しさと結びつけてしまいがちなのだろうと思うところです。

果たして、文化や歴史をねじ曲げてまで、『観光資源』などと言って盛り上がることは、地元住民に豊かさをもたらすのだろうか。
バスターミナルの前の宿屋でヤレムと話していると、6歳くらいの子どもがやってきて、「何か食べ物をくれ」と言う。残していたインジェラをあげると、目の前でたいらげた。よほどお腹がすいていたんだろうと感じさせるような食べ方でした。
ラリベラに観光客が溢れかえれば、いつかこの子が空腹に悩まなくていい日がやってくるのだろうか。もしその日がやってきたとして、文化や歴史は形を変えずに残っていられるだろうか。そんなことを考えた1日でした。


その夜はエチオピアのダンスや音楽を楽しみました。
ドラムの音や、女の人の「ララララララララーー♪」って歌声をサンプリングしてきたので、制作中の曲のどこかに挿したいと思います。



次の日、早朝のバスに乗り、ラリベラから旧都ゴンダールへ向かいました。
夜から腹を壊していました。それから、体に小さい虫刺されの痕がいくつかあったのですが、まだあまり気にしていませんでした。

移動中。空が広いし近い


ゴンダールでは城の周りを散歩して、カフェでのんびり過ごしました。
体調が悪かったので、その後は、ずっとホテルの窓から下の路上を観察していました。



城。写真下手ですんません。








1日しかいなかったので、あまり詳しくは書けませんが、
城下町という感じですが、新しいカフェやレストランが並んでいる通りもあって、アジスアババよりは落ち着いた雰囲気でした。カフェでのんびりするには最高でした。
中心部はそれなりに人が多い印象です。32万人(2015)が住んでいるようです。

今回の旅は、都市巡りも目的の1つでした。
なぜなら、エチオピアは人口爆発が起きているけれど、人口のほとんどは首都以外に住んでいるという説明をずっと疑っていたからです。

ゴンダールの後は、アムハラ州の州都バハルダに行きました。バハルダの話と、エチオピアの人口についてはまた次回書きたいと思います。




ところで、最近はエチオピアの抗議デモがメディアで頻繁に取り上げられるようになりました。
オロモ民族になぜか焦点が当てられているようですが、アムハラ民族が多く住むアムハラ州のゴンダールやバハルダでも大きな抗議でもが起きています。



ゴンダール




現政権を批判する抗議デモは国内各地に広がっています。

さらに、国内だけではなく、海外にも広がっています。

カナダでも、イギリスでも、ドイツでも、アメリカでも。






1990年代に、メンギスツ社会主義政権から形としては民主主義の国に変わったエチオピアですが、そのとき、反政府勢力側を支援していたのがアメリカです。
そして、EPRDFが政権を握ることになります。そして、少数派でありながら、ディグレ民族がエチオピアの政治の中心を担っていくようになります。

エチオピアへの援助が他の国よりも多すぎることに注目しているのですが、一番多く援助を行っているのも、アメリカです。社会主義時代の終焉が、エチオピアの開発や援助を語る上では重要なターニングポイントなのです。

しかしながら、昨今、国民の不安が高まっている背景は、人権問題というよりは、貧困だろうとみています。
富が平等に分配されない仕組みや、特定の民族に偏った政策が、貧困の原因なのでしょうか。
それは確かにあると思うのですが、エチオピア政府は、国民が貧困に陥るとどういうことが起きるか、おそらく他のどの国よりも知っていると思います。

メンギスツ政権の崩壊も、ハイレセラシェj時代の終焉も、背景には、貧困がありました。
(岡倉登志『エチオピアの歴史』より)


だから文化や歴史を切り売りしてでも、たくさんの援助を受け取って、経済成長を好ましいものと考える力が、政府の中では働いているのだろうと考えるところです。


今起きている抗議デモは、経済成長率の高さ(10%程度)が、国民の生活の実態へ反映されていないことを示しているのではないでしょうか。








続きはまた書きます。